雲の上


写真は国内出張で載った飛行機の窓から。最近はずっと天気が悪くて、雨雲が列島に沿うように居座っている。その雲を抜けるとこんな青空が、そういう天気のときに何度か見たのと同じように、こうしてあった。

たまに、そう、多くても月に二回か三回、ちょっと覚えておこうと思ったことをスマホのメモ機能を使って書いておく。同じように覚えていたいと思ったことでも、そのときにスマホをすぐには使えない状況だったり、使える状態でも自分に「その気がない」とか「そうすればいいことをそのときには思い付かなかった」という方がずっと多くて、だからメモに残ることは、その時点で偶然と運によりメモされた貴重な内容なのだ。ところが、そのようにメモしたものを読み返してみると、何のためにメモをしたのか、一体何のことが書いてあるのか、なにも覚えていないものがあるのだった。例えば2012年4月8日、にメモしたことに「金の靴銀の魚」とある。いかにも何かの、小説とか映画などの作品名のようではないか。しかし、それが本当のところ、何のタイトルで、何故に私がメモをするに至ったかはなにもわからない。なので、探ってみる。
まず、スマホのカレンダー機能でその日の曜日を調べてみる。その日は日曜日だったことがすぐにわかった。二年前の四月、桜の頃に、京都に行っていたような気がする。雨の平安神宮や、快晴の龍安寺に。そこで、自分のブログを見てみることに気が付いた。
と、ブログを読むと、平安神宮とか龍安寺に行ったのは去年、2013年のようで、2012年の春にはカメラにいくつもNDフィルターを重ねて付けて、三脚を立てて、昼間のスローシャッター写真を撮っていたことがわかった。自分では、その手法にはまっていたのはもっと前の気がしていたので、驚いた。「ついこの前だと思っていたのにもうそんなに経つのね」と感じるより「もっと前だと感じるのに、それしか経ってない」の方が、ちっとは救われる気がしないでもないか。それて、2年前の4月8日日曜のことは、ブログにはちょっとしか書いてないのだが、ニセアカシアの松本さんと若いI君と、下北沢で会って、話している。さて、そのときのこと、あんまり覚えていないのだ。I君を松本さんに引き合わせた、二人が初めて会ったときかもしれないが。
もちろん、金の靴銀の魚、を検索してみた。すると、漫画作品のタイトルであることがわかった。
松本さんとI君に会ったこと、金の靴銀の魚、というのは漫画の本であること、多分たけど松本さんもI君も私よりもずっと漫画に詳しいであろうこと、等から類推するに、2012年の4月8日に、下北沢で、私は二人のどちらかもしくは両人からその漫画の話を聞いて、では読んでみようかな、と思いメモをした、ということが推理できる。しかし、もしかしたら、二人とは全く関係なくテレビや雑誌にその漫画の記事があり、それを読んでメモを残したのかもしれない。即ち、松本さんとI君に下北沢で会った日にそのメモを残した、と言うところまで判明したにも関わらず、そこからなにも思い出せなかった。
しかし、どんな経緯かはわからないにしても、そこにその漫画の名前がメモされていた。ならば、読んでみてもいいんじゃないだろうか!というわけで、早く、というよりも、早すぎるくらいの時刻に起きてしまった日に、そのタイトルをAmazonの検索にかける。すると、その漫画の本は古書ならば随分と安く売られている。どういう経緯でその漫画のタイトルをメモするに至ったかはなにも思い出せない。それでも買ってみることにした。本が届いて、読んだら何か思い出すのかもしれない。なにも思い出せないかもしれない。経緯は思い出せなくても、読めば何らかの感想が生まれる。凄く感動して、この漫画に出会えて良かったなぁ、と思えるかもしれない。
そこで、背景のわからなくなったメモをきっかけにして、この漫画の本を買ってみることにした。さて、どうだろうか?

スマホのメモには例えば
「20120331
朝、テレビ 
あの人に会いたい、椋鳩十
熊や猪は好きです。物語を伴って現れる。濃い動物です。」
というのもあった。