ハイパーインフレ。

http://hobby.2log.net/zk1/archives/blog84.html

先日、研究室の先輩と奨学金の事について話していたんですが、

「低金利時代の後に、高金利時代がこなかった事はいまだかつて無い。ボクはそれを見越して無利子の奨学金が相当に目減りすると踏んで確信犯的に借りているのさ。」

というお言葉を賜りました。

では、「いつ」それが来るのか?

ハイパーインフレのえらい人*1は、「僕が死ぬのが先か、ハイパーインフレが来るのが先か?」と冗談めかしておっしゃっていたようですが、わたし自身はそのときはさほど遠くない、と思います。

画期となりうるのが、国債の大量償還を控えた年*2でしょう。

さらに、あとどれだけ国債を発行できるか、という予想、も重要な要素でしょう。

あと100兆くらいは出せそうです*3。しかし、それを使い切る前に、プライマリーバランスが達成されるかというと、「否」といわざるを得ない現状があるわけで。

2008年危機は現実のものとなりうるやもしれませんね。

*1:岩井克人貨幣論

*2:2005/2008

*3:この間、某総研エコノミスト氏と話した時もそういう予想に落ち着きました。

via考、おかわり。

http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20031004#1065218943

これについては、

が重要な指摘をしている気がします。

「viaはリスペクトである」という信念を持っている人ほど、自分のサイトからネタを取られた挙句viaが明記されないと快く思わない傾向にあるという印象を受けます。viaが明記されないことによって、自分がないがしろにされた気になるせいでしょうか。

一般論を書けば、テキストサイトをやってる人間にとってネタ元として認知されることは快感である、ので、ニュースを発見した人へのリスペクトの意味も込めて、積極的にviaは明記していくべきでしょう。

また、同じニュースに対する違ったコメントと言うのが面白い*4わけなので、コメントのぱくりは厳禁でしょうね。

自分のところのネタが他で話題にされたときにリンクが張ってあると思わぬ効用も生まれるとの指摘*5もあるようです。

わたし自身は「ボトルメール観」に立つので、viaとかかれなくても多分気にしないと思います。リファされないことなんて日常茶飯事なわけですから。むしろ流れ方を楽しみたいものです。

ところで、当日記はリファするほどの価値なんてありはしませんよ。

*1:viaについての考え方の整理。当日記の方針もこれに準じます。viaを明記するのは、自分のためであると言う以上に、それを見た他人がより一次情報に近いほうにアクセスできる便宜を図るためであるということ。さらに、明記するのは自分では見つけられなかったものを見つけてきた人へのリスペクトであると言うこと。

*2:大切なのは速報性よりも当人のコメントである、という指摘。

*3:ニュースとなる事象を作り出した人よりも、それを紹介したサイトの方がより重要視される風潮への懐疑、もしくは風刺

*4:id:amiyoshidaさんの言葉で言えば、「なんでもいいから他の人の違った切り口が見てえんだよ。おマエの気持ち、ぶつけてくれよ!ニュース収集ロボットなのかい?キミは。」

*5:ref: http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20030927#p02