天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

旅順

 大連まで行くことにしたら、日露戦争の激戦地だった旅順にまで行ってみたくなる。大連に着いた翌日、早速行ってみたことは当日書いた。バスで片道7元と簡単に書いたが、実はそのバスに乗るまでがけっこう大変だった。大抵は汽車の駅に隣接してバスターミナルがあるのだが、大連駅の場合には駅の周りに色々な方面行のバス乗り場が散らばっていた。
 ともあれ写真で紹介。まずは203高地。
 この場所まで車で行ける。左の坂道が頂上まで登る道の入り口。

 左の岩には203景区と書いてある。

 舗装された道が頂上まで続く。両側は松林で、日本の観光地をあるいているような錯覚に陥る。司馬遼太郎の小説「殉職」に乃木大将がこの山をロシア軍から奪還するときの様子が描かれているが、その描写によると銃弾を避けられるような木は無く、はげ山のようであった。松の木も比較的小ぶりで当時ははえていなかったものと思われる。

下の方には単に景区とあったが、頂上近くなると203高地とあり、更に日ロ戦争の跡地であるという表示が出る。

一番高い所にある碑には爾霊山と書かれている。この形は銃の弾丸を立てた形だ。この碑の脇に土産物屋の小屋があり、そこに日本軍の銃の弾がいくつか展示されていた。非売品、撮影禁止とあったのでパチリとやることはしなかったが、実際この碑と同じ形で5〜6センチほどの弾丸が青さびが出た状態であった。

碑の奥には大砲があった。見るとロシアの大砲であることが書かれていた。中国語、英語、日本語に韓国語だ。


乃木希典の命令で山を登って来た日本兵をぶっ飛ばした砲弾が発射された大砲の口。

大砲が危ないので火気厳禁。これは冗談。煙草の火はダメ。山火事注意だろう。ゴミひとつ落ちていなかった。

丘から下を見下ろした様子。要塞の跡を思わせる壁が残っている。

旅順では、203高地の他に旅順博物館に行った。

街歩き in 大連

 大連旅行3日目は、街歩きをした。大連駅付近までタクシーで行き、そこから中山広場、大連港、少し南に下って人民広場まで。ガイドブックに出ている場所をほぼ制覇した。

街歩きの目的は、ロシア、日本がいた頃の古い建物が残っている様子をこの目で確認することだった。古い建物ウォッチは十分堪能したが、歩いていて目につく庶民の暮らしから。

 昔の中国では、外で床屋さんが商売していると聞いていたが今でもいる。通りを少し入った目立たない場所で本当に椅子だけならべて髪を切っている。この写真で向こうから歩いてくる人は、この後手前の空いた椅子に座って順番待ちをしていた。

 大連の街は、今まで歩いた広州や武漢に比べて信号が整備されていると感じた。走っている車も、埃だらけではなく、新しいピカピカの車が多い。車種は何でもあり、日本車の全メーカー、ドイツ車もワーゲンはタクシーとしてここでも多いが、ベンツ、BMWと日本で見かけるのと同じような感じ。韓国の車も多い。ほとんど中国の自動車会社と合弁で作られるmade in China。
 歩いていて困ったのは、車が歩道を駐車場のように使っていることだ。急速に車が増えて、駐車場がそれに追いつかない状況であろうと思うが、いかにも車優先社会と言われる所以である。
 個人所有の車には色々と飾りを施すのが流行っている。特に、後ろの窓ガラスの脇に地図を描いてあるのがよく眼についた。ちょっと派手目の車をパチリ。
 Build Your Dream などとも書いてある。アメリカン・ドリームならぬ、チャイナ・ドリームなんだ。皆夢を持っているのか、夢に向かっているのか。日本もそういう時代があった。 
 中山広場まで来ると、そのサークルの中心の広場で赤い服を着た人達が、笛や太鼓の鳴り物いりで踊ったりしている。写真の後方は、古い建物との後ろに近代的なビルが古い建物を包むように建っている。いづれ中国銀行のマークが見える。この赤い集団は何か、と近づいてみると交通安全のキャンペーンで、人よせの笛太鼓だった。この日は月曜日。朝からこういうことをしているのは、皆おばあさんたちだった。


広場の芝生には鳩たちが寝そべっている。近づいても逃げようとしない。日本の鳩たちはすぐに逃げるが、ここでは悠然としている。鳩まで中国的な感じ。見た目は同じなのに。見た目が同じで、行動性癖がちょっと違うのは人と同じか、などど思う。

中山広場から大連港に向かう。


港の管理事務所は昔ながらの建物だ。向こうに高層ビルが見えるのと対照的。

港はこういう具合に発展するという大きな絵が描かれていた。

埠頭には大型客船が横付けされていた。

港から南へ下ると、池のある静かな公園がある。公園の名前は児童公園とあり、池は明澤湖。

ここから右に曲がって、南山路という道を歩いて労働公園に向かう。
南山路というのは、昔外国人が住んでいた地域らしく今でも租界の名残のような住宅が並んでいる。綺麗な並木道だった。

ロシア風の建物もある。

途中で見つけた郵便ポスト。レトロな感じ。色合いが日本とは全く違う。収集時間は午前10時の1回しか書いてなかった。

労働公園を入るとよく整備された綺麗な公園という印象。正面に随分変った綺麗な木があるので、近寄ってみると、大きな木の枝の上に平たい草花の鉢を載せていた。こうまでして綺麗にしたいのか。こういう園芸をどう評価していいのやら分からなかった。


公園の中の一角から音楽に合わせた歌声が聞こえてくるので行ってみた。二胡や琵琶や打楽器を鳴らす人の前で、小型のスピーカーを肩から掛けたおばちゃんが唄っていた。楽しみとしてやっている人達だが、二胡の腕前が気になってしばらく様子を見ていたが、すくなくとも私より慣れた引き手ではあった。

この公園を抜けると人民広場だ。市政府の建物や裁判所などが広い広場を囲むようにしてあるだけの場所だ。ここまで来て木陰で休憩をしていると、同じ人達が何度も前や後ろを通る。ウォーキングを楽しんでる人達だった。ここでは、広場の中心の交差点で名物の婦人警官が交通整理をしていた。


 さて来週は出張で、これから仙台まで出かけなくてはならない。最後にレトロな建物の写真をずらりと並べて大連旅行の記録は終了としよう。