壁から出てきた犬


 銀座1丁目のビルの玄関に置かれている犬の彫刻。壁の中から抜け出してきたように見せたいのだろう。だが、犬が抜け出てきた鉄板が少しゆがんでいるのか、壁と犬の間に隙間ができてしまっている。作品を見ないで、この隙間にどうしても眼が行ってしまう。技術のほつれが目だってしまう。
 不意に大江健三郎の「性的人間」の一節を連想し、それを採りだして読んでみた。いや、ちょっと違っていた。ここにそれを引用する。
 ジャズ・シンガーが政治家のパーティに仕事に行った時、控え室に16歳の子が青いビニールの衣装を膝において坐っていた。その青い服は蛙の衣装で、体じゅうすっぽりくるんで、股だけ魚の口みたいな穴がひらいている。政治家たちは、女の子の性器をした青い蛙を見る仕組みだ。

「その子の蛙ダンスの技術はすばらしいものなのよ、ほんとうにすばらしい技術なのよ」といって誇らしげに聴き手たちを見まわしサスペンスをかもしだそうとした。
「パーティの政治家たちは、技術を見たんじゃない、16の娘がどんなに恥しらずになれるか、ということを見たのさ」と運転している妹の脇に妻とならんで坐っているJがいった。「どんな種類の、わいせつなショウでも、それはかわらないよ。技術を見せて、そのかわり恥ずかしい自分の肉体は透明にする、ということはできないさ。観客が見たいのは、恥しらずな肉体そのもの、恥そのものなんだから!」