錚吾労働法

八〇回 配置転換④
 「日本では、配置転換が頻繁なのか」。「労働者は、よく黙って従っているな」。「日本人は、命令されて、命令に服従するのが好きなのかい」。ドイツ人どもが、わたしに浴びせた質問です。最後の質問には、「あんた達には、言われたくないよ」と言っておきました。これは、「職業」について議論してときの話です。「言語としての職業」と「社会関係としての職業」を区別すべきです。日本では前者は定着していますが、後者は定着していません。日本人には、労働する会社が重要であって、自己の職業が重要なわけではありません。ドイツ人にとっては、労働する地域社会と自己の職業が重要です。労働する地域社会とは、殆どキリスト教の教区と同じです。ミュンヘン人がベルリンで労働するようなことは、まずあり得ない。移動する職業、例えばビジネスマンならば、どこへでも平気で出かけますが、仕事の本拠の移動には「特別契約」をしないと駄目だと言うでしょう。
 日本人労働者は、配置転換は当たり前だと思っています。ドイツ人労働者には、当たり前ではありません。公務員であっても、配置転換など殆ど不可能なのです。2年、3年で「あっちへ行け」、「こっちへ来い」など言われて頻繁に人事異動するなんてことは、ドイツ人公務員が知ったら卒倒するに違いありません。「ノーベル化学賞」の田中さんだって、受賞の直前にはセールス・エンジニアだったんだぞ。こんなことを知れば、真面目なドイツ人は、立ち上がれないかも知れないぞ。ゲルマン各部族が互いに争いあって現在地に定住したあの民族移動の記憶と、ローマン・カソリックへの改宗によって定住の正当性をを確保したという記憶は、労働と生存の場所を労働契約の内容などという即物的なものではなく、生存の聖なる証しで、文化そのものだという志操的なものだとする。
 職業なる観念は、それと一体化して、この教区のあの横町の親方と弟子という具合に生まれたものだった。ひとつの仕事を天与のものとして大切にし、一生かけてやり遂げる。これが、職業の元々の意味です。秘書だ、ビジネスマンだ、衛生担当の公務員だ、会計担当の事務員だ、本屋の販売員だという具合に展開している。「哲学書なら私じゃなくて、彼よ」なんていう書店員は、日本では、お目にかかれない。「コンピューター検索できるのに、まだそんなこと言ってるのか」と思うのは、日本人の証ですよ。そんなわけだから、配置転換はドイツでは難しい。ちょっと教科書と判例を調べて、ドイツじゃこうなっているなどと軽薄なことを書いている人もいますが、勉強不足だな。
 他方、わが日本では、上のような「職業意識」は定着しなかった。「専門人」は、「大工の棟梁」みれば分かるように気難しい。職業意識の塊の代表格の棟梁や、「陶芸家」などは、例外的で普通じゃない。日本人は、そう考える。会社勤めの労働者は、一部の職人気質の労働者を除けば、俺はこの仕事に一生をかけるんだなんて者はいないでしょ。「何でもやります、どこでも行きます」と言わなきゃ、雇ってもらえない。経営者は、専門人が増えたんじゃあ、会社がまわっていかないと考える。こうして、フットワークの良い、小回りのきく、ダイハツ・ミゼットみたいな労働者が日本的な労働者になった。
 多少のデフォルメがしてありますが、日独比較をすると、労働に対する物の考え方の違いがよく分かるのではないかな。
 日本の労働市場も国際化しています。大手家具販売会社が日本の大学を卒業したての外国人を採用し、店頭に配置したところ、1週間も経たぬ内に、自分は「バイヤーがしたくて会社にはいったんだから、バイヤーに配転してくれ」と申し出た。「分かった、君は今からバイヤーだ。この店になくて、この店で売れる商品を仕入れてくれ。さあ、出かけてくれ」。これは、この会社の実際の対応です(そのときには、腹たちまぎれにそう言ったのだが)。これ位のドライな対応が出来ないと、紛争を誘発するんじゃないかな。大学出たら立派なビジネスマンなんて教育をしている大学は、日本にはどこを探してもありません。しかし、この中国人は商才にたけていた。立派にバイヤーとして活躍しています。しかし、これは、例外中の例外だと思ってください。この中国人は、ドイツ人とは全く違うし、日本人のような指示待ち人間でもないのです。ま、考えさせられる事例だな。