♪真っ赤に燃える鶴丸印

古い?(w

今朝、あれこれとサーバ用の部品が届いた。
海外から来る物もあって、航空便の荷札シールが貼られたままの物も多い。
ほとんどはアメリカから来るようで、NWA(ノースウェスト)やNCA(日本貨物航空株式会社)あたりが定番。
香港から来るものは、CPA(キャセイパシフィック)やCAL(チャイナエアライン)など。
今朝届いた荷物は、写真のとおりJAL。懐かしい鶴丸付。
このマークを見るたびに、いろいろな思い出がよみがえる。

22年前に初めて乗った飛行機はJAL DC-10。
ITM-SIN(大阪伊丹-シンガポール)便だった。まだ当時は関空が出来ておらず、伊丹から国際線が出ていた。
インドネシアのバンドン市に単身赴任していた親父の元へ合流すべく、家族で渡航したのだった。
セキュリティ前では祖父母と別れるのを嫌がって大泣きした。
ところが搭乗口まで来ると、初めて間近で見る飛行機を食い入るように眺め、747ジャンボの本を買ってもらいご機嫌(w
さらには、母子連れにサービスなのか、ビジネス席へアップグレード。
機内では、ふかふかのシートから身を乗り出して、急上昇して離れていく大阪の工場地帯を見つめ、雲の間隙を飛翔する体験に大興奮した。
機内食の選択を聞きに来たスチュワーデスのお姉さんが、見たことないような綺麗な人で、オモチャやプラモデルをくれた!
でも、和食か洋食かを聞かれてるのに、メニューを見て「ざるそば」と答えてしまい、オカンに「恥ずかしい」と頭をはたかれた(w

そして1年8ヵ月後…
異国の地で亡くなった母と一緒に、日本へと連れ帰ってくれたのもJALだった。
帰りはCGK-KUL-NRT-ITM。ジャカルタ発クアラルンプール経由で成田へ。成田から乗り継ぎで伊丹へ。帰りの国際線もまたDC-10だった。
遺体は防疫上の問題から入国許可がなかなか出ず、やっと出たかと思えば、家には入れさせて貰えず、伊丹から実家の近くの火葬場へ直行。

こうして、JALには随分とお世話になった。今でもあの鶴丸を見ると、海外へ連れて行ってくれたあの興奮と、そして異国から日本へと連れ帰ってくれるという望郷の思いがよみがえる。

随分と世間からは叩かれたりもしたが、やっぱり僕は出張や旅行では、JALを選んでしまう。
いまでは、座席のアップグレードも無いし、プラモデルも貰えなくなった。そして鶴丸のマークもほとんど見れなくなった。


あの時、プラモデルをくれたお姉さんは綺麗な人だったなぁ…