(341)時代の終わりに(25)・ソ連崩壊以来の最大の危機(2)時代の要請・官僚支配が辿るいつか来た道(2)訴える私の理由

ソ連崩壊以来の最大の危機(2)時代の要請
今回のZDF公開討論『見くびられるエゴイスト・トランプは成功するのか?6−2』では、アメリカ経済女性評論家のサンドラ・ナビディが鋭くトランプを批判している。
その批判から私に聞こえて来るものは、アメリカ国民がトランプのようなペテン師を選んだのも(ナビディが言うように国民の味方としてグローバル化を罵るとしても、実際はグローバル化の権化)、タブー破壊、価値破壊、規範破壊、権利破壊を招いている時代の要請であり、規制緩和と大型減税を柱とするレーガノミックスの二番煎じとするなら、2008年の金融危機を遥かに上回る後遺症が控えていることを覚悟しなければならないことだ。
その後遺症である金融危機は、世界的に巨額な国家負債の肥大で制御機能が失われていることから、レーガノミックスのように20年を経るものではなく明日起きる可能性さえあり、それを回避するため戦争が時代的要請として求められていると感ぜずにはいられない。

官僚支配が辿るいつか来た道(2)訴える私の理由
私が時代の流れに反して、何故官僚支配批判を続けるのかを考えて見た。
確かにゴルフ場開発に反対した際、地域ボスたちに罵倒された悔しさからでもある。
また事実を明らかにすることで、一時的に地域の人たちに反対を応援、支持された喜びからでもある。
しかし今思う継続する理由は、立木トラスト、環境アセスメント意見書無視、そして長い年月をかけた行政訴訟敗訴のなかで見えてきたものが希望であり、希望に向けて歩むことしかできなかったからだ。
それはドイツからの希望であり、市民の口答でも事実であれば、お金がなくても行政訴訟が成立し、行政は全ての資料を裁判所に提出しなくてはならないことから、通常半年以内に決着する社会への希望である。
すなわち戦後のドイツでは、戦前の無責任体制の官僚支配を、官僚制度の刷新で現場での官僚一人ひとりの責任が問える仕組みに変え、戦前の官僚支配から官僚奉仕に180度転換が実現している。
また司法を法務省から完全に独立させ、裁判所自体にさえ市民奉仕が求められている。
下の動画『日独裁判官物語』を見れば、ハンブルク財政裁判所グロート・ヘアー長官が「市民にアクセスしやすい親しみやすい裁判所を作ろうと司法改革を進めたのです。(すなわち)市民と裁判所の間にあった壁をなくすことでした」と述べ、ドイツでは裁判所を市民に開放し、開かれた裁判所をテーマに市民と裁判官の交流が求められ、市民との連帯が目標とされていることが理解できるだろう(46分45秒〜)。
(しかし日本では裁判官の市民との連帯などは有り得ないことで、裁判官の市民的自由さえ奪われており、裁判統制が如何に重く為されているかは明白である。)
そこには譬え紆余曲折があったとしても、絶えず公正さと万人の幸せが求められ、既に一年前のブログ(316)で述べたような、化石燃料から自然エネルギーへのエネルギー転換を通して富の蓄積のない地域分散型の希望ある未来が見えて来る。