光あるうちに光の中をすすむ


9時50分、九段下で、エディトリアルの先生に連れられて、失われゆく写植の現場を見学。自分がその昔つとめていたド古い映画館の任侠モノやATGなどの、昭和な横長ポスターたちに再会。写植がドメスティックな技術だってこと知らなかった。時間かけて感性とテクニックを身に付けた技術者がいなくなると、同じものを作るのが不可能になるという点では町の豆腐屋と一緒だと思う。

15時20分、渋谷で"Exsit through the giftshop"を見る。映画の日で入場料が安いので、おもに男子でかなり混んでいる。
苦笑と爆笑の上映。「でも、それがニセモノだってこと、どうやって見分けるの?」(だっけ?うろ覚え)つー、こないだDVDで見たJ・ガブラス監督の「ぜんぶフィデルのせい」の中の台詞おもいだす。これだってバンクシー側じゃない人間から見たらどう映るかしれない。

19時、渋谷で魚とジャパン。遠方へ行くひとに冗談で「おごりだろう」といったら全部払われてしまい申し訳なかった。頭の中で「これも言おう、あれも言おう」と考えていたことのたったひとつも言えずじまい。

翌朝の早朝5時、小鳥の鳴き声と共に爽やかな目覚め、ただし駒込のどっかのマンションの階段踊り場で。コンクリの上で寝てたから体中が痛い。住人に通報される前に目が覚められたのも普段の行いがまあまあだからだと思うことにする。コマゴメっていまだかつて下車したことなかった。今後もこれ以降、特に縁はなさそうだと思いながら、胃があれで、なんでもいいからポップを飲もうと自販機の一番人気のなさそうなボタンを押す。