今日は師匠の誕生日

落ち葉の影

 そしてkちゃんの結婚記念日。おめでとう。
愛する娘に
 いつも勝ち組でいることなんか人生ではありえない。勝つも負けるも本当は自分の心が決めること。お金があるから、安定した生活が出来るから、それも大事だと思うけれど、心が生きているか死んでいるのかそれが一番大事なことのように感じている。
 毎日の暮らしの中で奴隷になっていないか。食べるためにそんな甘いことは言っていられないのだよというかもしれないけれど、それでも自分を生かす道を考えて生きて欲しい。この世に生まれてきて何も果たすべき役割を持たない人はいない。あなたの使命は何か。命の仕事は何か。誕生日だからこそ考えて欲しい。
 あなたが生まれてくれて、私たちと生きてくれたことが私にとってどれほどの喜びであり、嬉しさだったのかあなたに伝えたい。
 クリスマス前の記録的な大雪の日、陣痛が始まってもタクシーは捕まらなかったから私は自分でチェーンを掛けて運転して産院に行った。親分はあのころ免許を持ってはいなかったから。この子を自分の力でこの世に送り出さなければならないとそれしか考えていなかった。
 あなたが生まれたとき、ああ私も生きている と思った。難産だったから。
 あなたはとても小さな赤ちゃんで、この子は育つだろうかと思った。ランドセルも特別注文しなければ背負える重さのものはなかった。
 そのあなたが今、自分の仕事を持って生活している。なんという喜び。生きていてくれてありがとう。苦しみの多い人生だけれど、その中であなたが生み出す笑いはかけがえのないもの。あなたがいてくれたから乗り越えることが出来た日々があった。
 心から生まれてくれてありがとう。共に生きてくれてありがとう。
 今日も、明日も、あさっても、毎日がよい日でありますように。今日一日あなたのことを祈っています。
 愛を込めて ままん

姫頑張れ

 人生には幾度か自分の限界を超えて頑張らなければならない時がある。今がそのときのように感じている。身体も気持ちもつらいだろうけれど、今この嵐を頑張って乗り切ってごらん。理不尽な仕打ちを毎日受けてそれでも「学校が好き」というあなたに「つらければ学校を辞めてもいい」といいながら無性に悲しく怒りを感じる。
 もう何も君に向かって責める言葉を言うことはやめよう。そう思った。励ましも痛みになるだろう。私に備えの道があったように、君もきっと備えの道を歩んでいくのだろうと信じよう。信じられない弱さの中であえて信じたいと願う。人間の業を超えて人間を導きその命の使命を果たさせてくださる御方にすべてをゆだねよう。
 ただ親として向き合わなければならないことにはきちんと向き合っていこうと思っている。担任に対しても校長に対しても。言うべき言葉を惜しみはしない。傷つけるためではなく、子供が子供らしく生きられる場所を確保するために。これを戦いというならば相手は学校という漠然とした存在ではなく個人名のある生身の人間だ。一人一人に向かって言葉を発して行こうと思っている。
 姫は散々涙をこぼして自力で自転車で飛び出していった。
 無事でありますように、御手が彼女と共にあり彼女が苦しまないようにしてください。
 私はいつも祈っています。

今年も編み物が始まり

 気持ちを落ち着けるためにせっせとベレーを編んでいる。バスクベレーが好きで気がつくと大きなベレーを編んでいる。かぶり方が難しいが小粋にかぶって欲しいとプレゼントの中に入れる。受け取った人。編みながらあなたのために祈りました。愛情たっぷりです。
誕生日のお祝いをしたくてアプフェルクーフェンを焼きました。電話でハッピーバースデイを歌いながらこちらでもケーキを頂きました。あちらでもケーキでお祝いしたようです。プレゼントを詰めたら大きなりんごの箱がいっぱいになりました。これを彼女が確実に受け取るにはどうしたらよいのでしょうね。

光のページェント


仙台の冬の風物詩となった光のページェント定禅寺通りケヤキ並木にちいさな電球をつけて光のトンネルを作ります。歩道側にケヤキ並木が合ってそのトンネルの中に車道と、さらに真ん中の中央分離帯が歩道になっていて彫刻があったりベンチがあったりします。夏にはジャズフェステバルの会場になる並木道です。
 写真では分かりにくいのですが、両脇を車は走りながら、真ん中に歩道があって人は歩いて光のトンネルをくぐります。電気代は企業だけではなく市民からのカンパです。電力の無駄使いといわれたり木がかわいそうといわれたりしますが、それでもこれが始まると出かけてこの道をくぐりたくなります。光の中に包み込まれると胸がいっぱいになって言葉を失います。光をくぐって歩くことがこんなにも心を開放するものだとは知りませんでした。この光のトンネルをくぐって今年一年の思いを静かに心に収めたいと思いました。

今日は師匠の誕生日

 そしてkちゃんの結婚記念日。おめでとう。
愛する娘に
 いつも勝ち組でいることなんか人生ではありえない。勝つも負けるも本当は自分の心が決めること。お金があるから、安定した生活が出来るから、それも大事だと思うけれど、心が生きているか死んでいるのかそれが一番大事なことのように感じている。
 毎日の暮らしの中で奴隷になっていないか。食べるためにそんな甘いことは言っていられないのだよというかもしれないけれど、それでも自分を生かす道を考えて生きて欲しい。この世に生まれてきて何も果たすべき役割を持たない人はいない。あなたの使命は何か。命の仕事は何か。誕生日だからこそ考えて欲しい。
 あなたが生まれてくれて、私たちと生きてくれたことが私にとってどれほどの喜びであり、嬉しさだったのかあなたに伝えたい。
 クリスマス前の記録的な大雪の日、陣痛が始まってもタクシーは捕まらなかったから私は自分でチェーンを掛けて運転して産院に行った。親分はあのころ免許を持ってはいなかったから。この子を自分の力でこの世に送り出さなければならないとそれしか考えていなかった。
 あなたが生まれたとき、ああ私も生きている と思った。難産だったから。
 あなたはとても小さな赤ちゃんで、この子は育つだろうかと思った。ランドセルも特別注文しなければ背負える重さのものはなかった。
 そのあなたが今、自分の仕事を持って生活している。なんという喜び。生きていてくれてありがとう。苦しみの多い人生だけれど、その中であなたが生み出す笑いはかけがえのないもの。あなたがいてくれたから乗り越えることが出来た日々があった。
 心から生まれてくれてありがとう。共に生きてくれてありがとう。
 今日も、明日も、あさっても、毎日がよい日でありますように。今日一日あなたのことを祈っています。
 愛を込めて ままん

姫頑張れ

 人生には幾度か自分の限界を超えて頑張らなければならない時がある。今がそのときのように感じている。身体も気持ちもつらいだろうけれど、今この嵐を頑張って乗り切ってごらん。理不尽な仕打ちを毎日受けてそれでも「学校が好き」というあなたに「つらければ学校を辞めてもいい」といいながら無性に悲しく怒りを感じる。
 もう何も君に向かって責める言葉を言うことはやめよう。そう思った。励ましも痛みになるだろう。私に備えの道があったように、君もきっと備えの道を歩んでいくのだろうと信じよう。信じられない弱さの中であえて信じたいと願う。人間の業を超えて人間を導きその命の使命を果たさせてくださる御方にすべてをゆだねよう。
 ただ親として向き合わなければならないことにはきちんと向き合っていこうと思っている。担任に対しても校長に対しても。言うべき言葉を惜しみはしない。傷つけるためではなく、子供が子供らしく生きられる場所を確保するために。これを戦いというならば相手は学校という漠然とした存在ではなく個人名のある生身の人間だ。一人一人に向かって言葉を発して行こうと思っている。
 姫は散々涙をこぼして自力で自転車で飛び出していった。
 無事でありますように、御手が彼女と共にあり彼女が苦しまないようにしてください。
 私はいつも祈っています。

今年も編み物が始まり

 気持ちを落ち着けるためにせっせとベレーを編んでいる。バスクベレーが好きで気がつくと大きなベレーを編んでいる。かぶり方が難しいが小粋にかぶって欲しいとプレゼントの中に入れる。受け取った人。編みながらあなたのために祈りました。愛情たっぷりです。
誕生日のお祝いをしたくてアプフェルクーフェンを焼きました。電話でハッピーバースデイを歌いながらこちらでもケーキを頂きました。あちらでもケーキでお祝いしたようです。プレゼントを詰めたら大きなりんごの箱がいっぱいになりました。これを彼女が確実に受け取るにはどうしたらよいのでしょうね。

光のページェント


仙台の冬の風物詩となった光のページェント定禅寺通りケヤキ並木にちいさな電球をつけて光のトンネルを作ります。歩道側にケヤキ並木が合ってそのトンネルの中に車道と、さらに真ん中の中央分離帯が歩道になっていて彫刻があったりベンチがあったりします。夏にはジャズフェステバルの会場になる並木道です。
 写真では分かりにくいのですが、両脇を車は走りながら、真ん中に歩道があって人は歩いて光のトンネルをくぐります。電気代は企業だけではなく市民からのカンパです。電力の無駄使いといわれたり木がかわいそうといわれたりしますが、それでもこれが始まると出かけてこの道をくぐりたくなります。光の中に包み込まれると胸がいっぱいになって言葉を失います。光をくぐって歩くことがこんなにも心を開放するものだとは知りませんでした。この光のトンネルをくぐって今年一年の思いを静かに心に収めたいと思いました。