前玉の古塚


 
今日はずっと行きたくてタナザラシになっていた
さきたま古墳群に行って来た。
 
教科書的には稲荷山の銘文付き鉄剣で有名なところ。
 
上毛野の文化圏から見ると敵方なので
すこし緊張して行って来たけど
いや、なかなか県が力を入れて整備しておって
古墳だらけ群馬も見習わなくてはと思う
施設と環境が満載だった。


 
特に常設の勾玉作りは極上の暇つぶし。
 
また、そこで働く定年後らしき嘱託者や
受付のご令嬢、屋台の75歳のおばあちゃんまでが
皆そこで働く楽しみと誇りに満ちていて
いや、何だかうらやましいというのかやましいというのか、
私はともかく子供たちも感じる所があったようだ。
 
その後、100m級の古墳が9つ連なる公園内を散策。
 
そういう所では必ず水にハマる我が息子が
今回は桜の木の二股の間に右腿を挟み抜けなくなり
周辺の大人数人に助けを求め桜の幹をぐぐっと押し広げるという荒技で
何とか抜け出すという失態。


 
一時は足か桜をキラナかんかなというほどの深刻な状況で
今気付くと手がずる剥けじゃ。
 
下は暑いので電信柱の影で休息する我が娘。
遠目に非常に不気味。。

その後ゼリーフライを食べて帰宅。
時間が無くて忍城に行けなかったので
今度は年寄を連れて城見学に再訪の予定。
 
すげ、疲れた。。
 
 

AirMacとフレッツ光モデム

ここのところ熱が39度まであがって
その後37弱で安定中。
花粉症と病気の境目がよく分からない。
 
1日会社を休んだら、
放射性要素の過剰摂取、あるいは毒キノコという噂が
まことしやかに流れていた模様。
 
  
で、ずっとだましだまし使っていたAirmacをようやく本つなぎできた。
 
要はフレッツ配給のモデムの所で
先にプロバイダ接続(のための設定)するということだったんだけど
(いままではAirmacExtremeのところで設定していたからね)
そこをうまい日本語で書いてくれてるとこが無いのだな。
 
まあこれで安定的に家の中どこでもネット環境が確保できてめでたしめでたしじゃ。

ぐんまちゃん

引っ越して、そろそろ2週間。
 
やっと家の中が正常化して来たかな。
でも田舎のことで近所とか親戚とか巡るのがまだ一段落していない。。
 
通勤も慣れてしまえばそれほど苦にはならない。
順応性が高いなあ我ながら。
 
昨日も余震の大きいのがあった。
 
被災地のヒトは大変だろうけど
気の毒とか頑張れとかは思いたくない。
心のどこかでは同じ境遇でなくてよかったと喜んでいる自分がいるからな。
 
幸せの階段を順調に上りつづけているヒトよりは
どこかでどん底に落ちたりへこんだ人間の方が
どこかしら立派、人間として高級感があるというのはでも一つの真理ではある。
 
幸せな所から見下してる人間をいつか見返してほしい。
 
 

高崎へ

朝の会議事務局と議事まとめを神業のような素早さで仕上げ、
別室で待機していた娘と昼飯食って高崎へ。
 
ピザが食べたいというので
東京店の13階XEXでランチ。
12階のサバティーニにはパスタしかなかったのが運のつき。
2000円のランチのつもりが
注文を仕損じたようで2000円とはおもえないコースがどんどん運ばれて来て
覚悟を決めて食べたナポリ直送モッツァレラとかボタン海老にキャビアのっかったのとか、
いやーさすがにうまかった。
その辺で出てるのはモッツァレラじゃなかったのだな!といううまさ。
資金繰りに悩む懐にはイタすぎましたが。
小姐に窓際のいい席(皇居、都庁、東京タワーが見える)を取ってもらい
娘とのいい思い出にはなりました。
 
その後高崎線で1.5時間、高崎駅まで妹に迎えに来てもらい
とうとう新居へたどり着いた。
 
一応、ドアやテレビは震災に堪え無事だった。。
 
で、夜、2時間かけてAirMacつないだ。
こんなに大変だったかな。
なんかフレッツと相性悪いのか?
 
早く寝ようっと。
明日は荷受け。
 
 

最後の日曜日

賃借先を探しに来た時初めて食べて以来
ずっと何かにつけて行っていたイタリアンレストランがあって、
そこで最後の晩餐をしたかったんだけど晩は雨が降るっつうので
昼に出かけるとまさかの満員。
 
で、急遽近くの洋食屋でカツ丼とビーフシチューと
ミックスフライと川海老の唐揚げという
謎の昼ご飯をビール2本とグラスワインで祝杯。
 
荷造りが総仕上げでいやー、疲れた。
今までは義母が手伝いに来てくれてたけど
今回はさすがに関東に呼び寄せるわけにもいかず
(当初は来る予定だったんだけどな。。)
久しぶりにフル稼働した。
 
しかし、すべてがこの地での最後となると
感傷的だなー。
 

卒業式

今日は娘の小学校卒業式。
 
校長先生がいい話してたわ〜。
うちの経営者にもきかせてやりたい。
自分が子供の時も、もしかしたら
いい話してたのかもな。
 
  
普段忘れてた昔の出来事や感情を思い出して、
なかなか大人にも有意義な儀式ではあるな、卒業式。
  
しかし着実に現代化、ショウアップ化されていて
国旗の横から卒業生が入場して来た時はびっくりした。
壇上に対する厳かな気持ちというもののかけらも無かった。
まあ、いいんだけど。
 
 
 
話は変わって福島原発だけど
ウチの周りの住宅街でも、
西に逃げたり海外に逃げたりという一家もちらほら出て来ました。
 
しかし思うのは、離ればなれでどちらかに何かがあった場合、
その無事だった方の心の持ちようってどんなもんだろ、ということ。
 
無事でよかったと100%思えるような人格の人間とは
家族になりたくないし、なった覚えも無いと思うのだがどうなのだろう。
 
まあ、小さい子供持ってるヒトの気持ちもよく分かるんだけれどもね。
あれだけ扇情的な継続的情報露出と、あけすけな情報遮断を見せつけられたらな。
 
でも、子供から見たら、どこまでいっても親切と義侠心とヒロイズムの押しつけなんじゃないの、と思うのも事実。
 

 
 

二階から目薬

ヘリコプターからの注水って
どこまで「二階から目薬レベル」から確実性を増した所へと
近づける方法をとるのか、昨日から楽しみにしてたんだけど、
あれじゃーな。。
 
ああいう付け焼き刃かつピエロティックな行動を
真剣に取り出すヒトや組織って
経験則的にはもう終わってることが多い。
どうも事態は深刻になりつつあるようだ。
 
群馬もあまり安全ではないようだし
子供だけでも非難させるということも考えたが、
北陸の親戚頼ってもあっちにもたくさん原発あるし、
どちらかが生き残ってもあまり楽しくはないな、
ということで、死なば諸共!
一億火の玉!