まみ めも

つむじまがりといわれます

泣かない女はいない

泣かない女はいない (河出文庫)
わたしがシャトルで通勤することを知る友人の家にあそびにでかけたら、壁一面の書棚のなかからこの本を貸してくれた。シャトルのことが書かれてあるという。書棚には漂流教室や鬼太郎のフィギュアが配してあり、息子はそれらの頸をはずしたりして遊んでいた。壊してしまったかとぎょっとしたが鷹揚な友人なのでいかにも気にしないのでほっとする。長嶋有は猛スピードで母は。というのをいっぺん読んだけれどもちょっとも内容を思い出せない。今度も忘れてしまうだろうとおもうが、そもそも記憶しておくために読むのではないからどっちでもよい。それで、やっぱりシャトルで読まないことにはとおもって通勤に携帯した。ふたつ話があって、どちらもときはミレニアムでどうにもならない人間関係を淡々と書いている。エピソードがあんまり具体的なのでやたらプライヴェートな内容に感じた。どちらの話も音楽媒体がカセットで、ミレニアムにそんなとおもったが、そういえばミレニアムの年にわたしも大学の教養課程で英語のテープを聴いていたことを思い出した。三年ぐらい前にはCDウォークマンも使っていた。レコードやカセットやCDがくるくる廻って音楽が流れるのは、なんとなく愉快な心持ちがする。
ふたつの話を読みおわって、解説も読んだところでバイブレータが鳴り、メールをひらいたらおかあさんからで、みーちゃんが亡くなりましたというしらせだった。みーちゃんはわたしが高校生のときに家にきた猫で、十日ほど前から歩けなくなりごはんもたべないときいて、長いことないだろうと覚悟していたがやっぱりしんでしまった。亡くなりましたという字がとびこんできて、シャトルの車内で、泣いてはいけないと我慢していたら鼻水がたれてきて、あ、鼻水、と気を取られた隙に涙がひとすじだけこぼれてしまった。会社の駅についたら、隣の席からさっと立ち上がったのは、会社にひとりだけいる高校の同級生だったらしかった。気づかれていたかもしれないなあと思いながら、会社にむかうひとたちをゆっくり歩いてやりすごしてお母さんに電話したら、お母さんも泣いていて、やっぱりわたしも泣いてしまった。会社についてから、きょうは会社を思い切って休んで実家にとんぼ返りしてもよかったなときづいた。いつも衝動的な感情がタイミングをのがしてやってきてあとから悔しいおもいをする。さいごにみーちゃんにさわりたかったな。こんなときにも間が悪い自分がかなしい。
しばらくしてから泣かない女はいないという本を読んだあとでまんまと泣いたことにきづいてすこしおかしかった。この本の内容だって忘れてしまうとおもうが、みーちゃんがこの本を読んでいるときにしんだことは忘れないだろうとおもう。