韓国人のコンプレックスと、アカデミー賞

韓国人の「ノーベル賞コンプレックス」はよく知られているところだろうが、新たなコンプレックスが1つ、つけ加わったかもしれない。いわば「アカデミー賞コンプレックス」である。


先月、日本映画が遂に外国語映画部門でも「オスカー」を手にしたニュースは、韓国でも大きく報じられた。「韓流」コンテンツの売込みをほとんど国策として展開してきた韓国としては、こんな面白くないことはないだろう。
これがもし、芸術性の濃い、前衛的な作品がアカデミーというのなら、まだしも韓国人も諦めがつくかもしれない。ところが、滝田監督は若いころはピンク映画畑の人でエンタテインメント系を得意とし、今度の『おくりびと』もまた誰にでもわかりやすい娯楽映画であったのだから、ハリウッドを手本とし、あざといほどのマーケティングの上に立った商業路線をつっ走ってきた韓国としては「なぜウリ(わが国の)映画がダメなんだ。娯楽映画で日本に負けるとは」と嘆息せざるを得まい。
何しろ韓国の映画作品は、過去10回アカデミーに出品していながら、すべて1次予選落ちし、ノミネートさえされていない。
韓国作品がひところほどの勢いがなくなり、そのくせ俳優の出演料ばかりが吊り上がり、人気のほうは低迷する中、日本のコンテンツが「すごいのはJapanimation(日本製アニメ)だけではない」と認められた格好だ。

ここらで、「韓国人でなければ撮れないものを撮りたい」と言い続けてきた林権澤監督あたりに健闘してもらいたいものだ、と個人的には思う。

それにしても「おくりびと」、よくぞ並みいる強敵を抑えて、と思う。それは、近年、海外から日本への観光客数が右肩あがりで増え、彼らが日本の旅館・飲食業をはじめとした至れり尽くせりのサービスに触れて、「日本は、車・ウォークマン・カメラもいいが、実は日本製品の真髄は第三次産業にあり」と知る人が増えたことと関係なしとは思えない。主演の本木君が、受賞式の挨拶の中で、「(今回の受賞は)日本人の心のもてなしが伝わったということだろう」と述べていたことがよく言い当てている。


短編アニメ部門も忘れてはならない。
かの手塚治虫は子供のころ、ノートの端っこへ1枚1枚手作りの「動く漫画」を作ってはクラスメートに見せてウケていた。そんな子が長じてあれだけの名作を残したわけだ。『つみきのいえ』は、また見ていないが、そんな手塚魂が後継のアニメーターに遺されていたんだと実感させる作品のようだ。膨大な人数のスタッフを動員して作られるジブリ作品のようなものももちろん楽しいが、『つみきのいえ』的な、“アニメ界への新規参入はそんなに大資本がなくても充分可能”と教えてくれる作品も貴重であろう。


どうも韓国は、大資本が巨費を投じたり、もしくは国策としてのテコ入れがあったりして、初めて「よいもの」が作れると、思い込みを持っているのではないか。それはアカデミーしかり、ノーベル賞もまたしかりではなかろうか。