いつのまにかまた「いつものメンツ」が舞い戻ってる模様。。。

http://adon-k.seesaa.net/article/18421170.html

なんつか、チェックリストでも作って論点一つずつ潰していけば?とか。こんだけ何回もループしてれば、両者が合意できてる点はあるはずですよね?

やっぱお互いに「オマエのゆうてることはオカシイ」とツッコむ立場を取ってるから収束はしませんよね。「あったとは判断できない」「なかったとは判断できない」。ソースの出し合いっこしたりしても、「その史料からは○○とは判断できません」ってなで結局決着つかない。そもそもそういう決定的な史料がないからこそ泥沼になっている。丁寧に「ソース/事例をご提示ねがえませんか?」「そう主張する根拠を教えていただけませんか?」と質問しているようにみえても、内心は「出せるもんなら出してみよやゴルァ」「貧弱な言い訳ヌカしたら叩きつぶしてやるYO!」ってなもんで。

結局このように決定打がない中、お互いの出発点、というか「信念」が大きく異なっている以上、両者が合意みることはできない。「あった」という人は、日帝は非道な侵略者であり虐殺は行い得る、という「心情」を持ち、「なかった」という人は、帝国軍は軍紀が厳しく物資も不足しそのような虐殺は起こり得ない、という心情を持つ。互いのソースの提示、またその解釈も、それぞれの「信念」をベースに行われる。

少なくとも、当該スレに登場する人物のうち、「あった」派はあくまで日本の侵略、という基本路線にたち続け、「なかった」派はそれに懐疑的あるいは[反発]する人々である。ありていなレッテルを使えば、「サヨク」と「ネットウヨク」である。

南京大虐殺」があったかなかったか、そんなことが実はどうでもいい。それを肴に互いに「あった/なかった」というヤツはオカしい、といいたいのだ。

(、、、かなりツッコミどころにあふれる内容ですが、、、せっかく書いたので載せちゃいます。。)