「2進行思考法の終わり―反日ブログ監視所について」

http://blog.goo.ne.jp/dabamyroad/e/12f657f9d1329991b2f107d5ff88a6d9

反日」「親日」の2進法思考でしか、複雑な現代社会に生きる忍grんの社会真理を考察できないのでは、新たな真理、自然と社会に貫徹する法則性をなんら解明できるものはならないであろう。

だから、日本のオタクは前の世代のオタクが研究・開発・整備したものをまず「
メイン・カルチャー』として受け入れ、あとに続く人材、組織の育成を急ぐべきであろう。

原文ママ

まず「忍grん」という暗号を埋め込むことにより、本論考の深遠さに対する期待感を抱かせているという点が注目される。一見タイトルに現れる対象者に対して批判を投げかけているようであるが、実は論理的思考自体ができない論者自らへの「自己批判」であることを、「解明できるものはならない」という文法的な不協和音でもって暗喩している。

さらに「だから」という本来順接の場合に用いられる接続詞を敢えて3段斜め上への飛躍の際に活用し、読むものを無残にも置き去りにする。この卓越した手法はさすがとしかいいようがない。焦操感にかられた読者が続いて目にするものは、文末におかれた"「"だ。禁則処理を無視したこの配置は、いわゆる「縦読み」の際に多く用いられる手法で、読者にその期待を抱かせる。

「だメ」。ここまでは読み込めた読者も前段に対してはお手上げだ。ここで殺陣と見せかけた釣り、ということに気づかされる。しかしながら"「"への対応が "』"である、という不自然さがより深遠な「何か(あるいはねこだいすき)」を感じさせ読者の心を放さない。突き放し、期待を抱かせ、また突き放す。読むものを翻弄するこの技法の名手として、南雲氏の右に出るものはいないであろう。