久々に徹夜/平野啓一郎『決壊』上・下


 あ、徹夜っても貫徹じゃないよ‥昨日の晩、一旦寝てからなんか3時間くらいで目が覚めちゃったので「あーちょい続きでも読みますかいのぅ〜」と下巻のはじめ、廃ホテルに警察が行く辺りから。
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 そして朝7時、ゴミ捨てに出てベッドに戻った頃、多分この小説のメインテーマと思われる(主観的に)崇とその友人、室田がカフェで会話する部分だった。
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 ちょっと話が逸れてしまうけれど、私の母は今病んで入院している。
 先ず一昨年、パーキンソン病に罹患しているということが発覚してから母はかなりの抑鬱状態になった。
 しばらくして「本当に」ゆっくりとしか歩けなくなってからは無闇に「私、リウマチよ」と主張しだし、医師の診断もあって膝の手術をしたり。
 パーキンソン病とリウマチならどちらが治療し易いかといえばたぶんリウマチだろうし、病が進行した先もまだまだ「動き」「生きる」ことに楽観的でいられる‥母が言ったわけではないが、私は彼女の思いをそのように感じている。
 実際のところ治療にあたるべきはパーキンソン病じゃないか‥私はそう考えぶりさんが教えてくれた宇多野病院の情報を今の病院に入院&2度目の手術を受けるまえに話したのだが受け入れられなかった。
 
 この連休中、2度ほどお見舞い(!?)に行ったが、彼女はどこかのんびりしているが、それは「リウマチ手術の為の入院」というモラトリアム状態にあるようにしか思えなかった。

 かたや私の妹は実務的なことをよくこなし、料理も(これには驚いたのだが)私より母と似た味の煮物などを作り、それを父も喜び、母にも小さいタッパに収め差し入れしたりしていた。
 そうした妹の行為はとても嬉しかったし、私と違い父とも食事を共にし(私は家族と食事が出来ない)明るい雰囲気を醸し出していた‥
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 そんな現状もあり、或いは私自身の問題もあり、この『決壊』下巻は私にとって実に恐ろしいものだった。

若し私が崇ならやはり自分が許せない、赦せない、耐えられない

 家族の死いうものを理不尽な暴力で齎された関係者はその犯人を赦せないしその存在を許せないだろう。
 この小説はネットで見ると「秋葉原大量殺人」に絡めて語られている様子だが、私としては寧ろ「光市母子殺害事件」を想起した。
 殺害者の意識のレベル、ひいては「無目的のようで悪意が存在する」からだ。詳しいことはネタバレ(別に推理小説ではないのだが!)に繋がるので書かないが、理不尽(或いは巧妙)な暴力で他人の命を奪うことはやはり「許せない・赦せない」。
 しかし、この小説の崇もだし私もだが、その殺戮者を赦す云々以前にまず「自分が赦せない」という感覚に囚われるのではないかと思う。
 それが解るのはこの一言、多分親身になってくれているのであろう室田への言葉だ。

 "オマエは幸福だな、こんなに愛されていて。それもオマエが手に入れたありとあらゆる愛の一つだ........
最もどんな人間相手の愛も、結局は、多様性の中で、オマエ自身とその相手とを中心化してゆく政治的なテクノロジーを磨かせたに過ぎなかったがね。それこそは、オマエの遺伝と環境の健康と幸福だ。喜びたまえ..... 悪魔が今、俺に向かって笑いながらそう言っている。誠実に語ってくれればくれるほど、ますます、目の前にいる室田の顔がはっきりと悪魔に見えてくるよ"

 このいっそモノローグめいた崇の物言いに室田は無言の怒りを表明するのだが、それも仕方ないだろう。
 彼は当事者じゃないのだから。

 そして私は走る車の音が聞えつつある朝、だけど蛍光スタンドが必要な暗い室内、ジョルジュに足を咬まれながら最後まで読んでちょっと泣いてしまった。
 私とて自分の家族が‥例え病のためであれ‥逝ってしまったとき、自分が赦せないだろうと思ったからだ。
赦せないのは自分だ、いつだって。
 一番いいのは自分が一番先に死ぬことだ。