GW後半

GW後半。母が田舎から出てきた。
出てきたって言うか、帰れないから、こっちに来てくれ!って呼んだのだ。
母はちょっと前に腰を痛めてからあまり歩けなくなってしまった。
今は杖をつくか、手押し車で歩いている。
姉に地元の高速バス停まで送ってもらって、梅田の到着駅まで迎えに行った。
調子が良ければ、グランフロント大阪でも見に行こうかと思っていたが、
2時間ほどバスに乗っていたので、もうしんどいから行けないとのことなんで
近場で食事だけしてタクシーで自宅をへ向う。
以前は、天神橋筋商店街を端から端まで歩いていた人なのに
今は天六の商店街の入り口までたどり着くのに一苦労な感じだ。こいつは困った。
3・4・5日はそんな感じで昼間は近所のスーパーへ買い物に行くにも車で出動。
夜は僕は仕事。

遠出するのも人が多いところは嫌だと言うので、
駐車場のあるスーパーばかり巡って時間を過していた。
6日は田舎へのみやげが欲しいと言って
なぜか?大阪なのに新宿中村屋のおかきを買えないかと言い出したので
中村屋じゃないが、もち吉なら都島にあるんで直に見て買えるぞ!っと午前中にもち吉に車で出動。
しこたま買って田舎へ直送。
僕もついでに買ってみたが、なかなかおいしかった。
また買いに行こう。

午後からはなぜか通天閣へ。
実は僕は親父が大阪に仕事の修行に出てきていた時代に生まれているので大阪生まれなのだ。
幼少期はジャリンコ・チエのような世界で過した。
通天閣へは徒歩で行ける所に住んでいたので良く遊びに連れて行ってもらったのだ。
で・・・、また行ってみたいと言い出したので車で出動。
通天閣はうちの娘が小さい時に来て以来だ。
だが、しかし・・・行って見ると、GW最終日とあってかやたらと人が多いのだ。
1階の入り口に50分待ちと出ている。
腰の悪い母がいるので、どうしたものか迷ったが、
そんなに並んでいる様子も見れないし、
どっかに座れるところがあるやろっとチケットを買う。

だがだが、しかし、中に入って並んでみるとみると建物の構造的に、
ぐるんと回り込んで並んでいるご様子が発覚。
しかも小さいEVが2基。50分待ちに納得。
でもご老人もくるだろうし、どっかでちょっと座れるぐらいの場所はあるだろうと思って並ぶ。
並びはじめて、いきなり半強制的に写真を撮られる。
撮影して気にいったら買ってくれと言う。
香港を旅行した時にガイドといっしょにカメラマンらしき人物がいて、
観光地についたらパシャパシャ撮って、絵皿に印刷した物を見せて買えと迫られたのを思い出した。
で・・コテコテの通天閣シートに印刷された写真を見せられて、
ひょっとしたら母が買うのじゃあるまいか・・とビビッっていたら
「そんなもんいらん!」と・・・ごもっともです。

そして
どっかで座れるだろうと言う期待もしっかり裏切られ
通路の片側はグッズ販売の棚やなぜか筋肉マンの展示物ばかりで椅子の一つもおいていやがらない。
前に並んでいるご老人を見ると、疲れて床に座り込んでいる。
ちょっと、係員を呼びつけて、輩風に文句を言ってやろうかと思ったが
係員の姿すら見えない。
通天閣観光さんよ、集客に力をそそぐのは分かるが、建物がバリアフリーじゃないのはわかってんだから
何かその辺の心配りが必要じゃないのかな?
母は手摺にもたれたり、柱の土台に腰掛けたりしてやり過ごした。


で・・なんとかEVにたどり着き5階展望台へ
文句ばかり言ってすまんが・・・内装なんとかならんか?
あまりにもビリケンさんを前に出しすぎ、そんなに全て金色の塩ビシート貼らんでも・・。
妙に安っぽさを感じてしまうのは僕だけ?
まるで吉本の乗りみたいなコテコテ感出しすぎてちょっと恥ずかしくなるのですが・・。
コンセプトは黄金のビリケン神殿か・・そうか、わかった僕が悪かった。

文句を言い出したら止まらなくなったが一応風景を・・

あべのハルカス。新ランドマーク。

で・・1層階段で下りて4階へ。そこは結構落ち着いた雰囲気。
そこからEVで3階へ。
ここはルネパーク時代の資料を展示。ここでやっと座れるスペースがあり母を休ませる。
だがだがだが!しかし!
西日が強いんだろうな。だからと言ってやっすい養生用プラベニヤをガラスに貼ったらいかんよ!
反ってグワングワンしてるし、もう、ほんまにコテコテやん!

と・・終始文句をたれながら通天閣を後にしました。
幼少期に毎日見上げていた通天閣の現状を見て少し寂しくなりました。
娘が小さいときに来た頃は2階か3階に卓球台とか置いてあった記憶がある。
確かに古臭いがまだあの頃が僕の通天閣・新世界のイメージに近い。

7日に母を梅田の三番街のバス発着場に見送り、夕方無事到着したと連絡があり、
今日からまた、厳しい日常に戻ります。