ミャンマー美人の話

ミャンマー旅行記もぼつぼつお終いに近づいたので、今回はくだけて、ミャンマー美人の話を紹介したい。
地方の観光を終えてヤンゴンに戻った日のホテルは、ガイドのチョウ君の手配で「Queen shin saw pu hotel」であった。一泊18$、チャイナー系らしい。
ダウンタウンからは離れているけど樹木が多く閑静で、わりに良いホテルである。
ホテルの名がどういう意味か良くわからなかったが、名刺の裏に「皇后旅館」と漢字で書いてある。初め「shin saw pu」は「シン・ソウ・プ」でミャンマー語であろうか?(ミャンマー語は全然分からないが)などと考えていた。
だが、shinはeが抜けてshine ではないのか、puは不明だが「shine saw」で「美しく見える」つまり「美人王妃ホテル」ということかな? などとあれこれ想像を廻らしていた。
朝食付きなので、翌朝、一階レストランに降りて行き窓際のテーブルに腰を下ろす。客は少ない。隅の方で大きな丸テーブルを囲みオーナーの家族が食事している。
横目で、ちらちら観察してみると、奥さんらしい若夫人がなかなか美人である。30代の若旦那は、ぼんぼんの後継ぎで、のほほんとしているようだし、中学生らしい倅と娘は、金持ちのおぼっちゃんとお嬢ちゃん、下の子は、やんちゃな我がままいっぱいというように見受ける。中学生らしい二人は、黙々さっさと食事を済まし自分の部屋に引き取った。
美人のママは、やんちゃな末っ子の口にスプーンで食事を運んだり、のほほん父ちゃんの世話をしたりいろいろと気を使っている。
「後継ぎぼんぼん」の嫁さんをさがすとき旅館の名に相応しい美人を探し、ミス、ミャンマーでも見つけて玉の輿に乗せたのだろうか、それとも、美人を見つけて嫁に据えたのでそれを機会に「皇后旅館」と名乗ったのだろうか、など「げすの勘ぐり」というやつで、あれこれ想像を回らしていた。
何とか話しかけてみたいものだ、とチャンスを伺っていたが機会が見つからない。
出発の日、迎えのタクシーに乗り込もうとすると、フロントの玄関前でちょうど植木に水をやっていたので家内を並ばせて写真を撮った。上の写真がそれだが、なかなか美人でしょう。
わたしの美人評価は「控えめに楚々とした人」である。東南アジアの各地でこれまでに三人に行き逢うことができた。
一人目は、タイのメーホンソン(北部の都市)に行き、山奥の首長族を訪れたときのこと。みやげ物を売るバラック小屋の店に座っていたママさん。首に輪っかははめてなかったが、美人で少し恥ずかしげな、しおらしい態度で応対してくれたのに大変好感が持て、木彫りの蛙(背 中をこするとケロケロと鳴く)を買った。
二人目は、これもタイで、「戦場にかける橋」で有名なカンチャナブリを見にいったとき、昼食をガイドに任せたのが悪かったのだが、流れに浮かぶレストランで昼間からビール二本の栓を抜き、大きな海老料理などが出されたので、「昼食はヌードルのようなもので良いのだ」と、ガイドを叱ったが、時すでに遅くオーダー済みでやむなく豪勢な高い昼食となった。
このとき、そのレストランのママさんが、済まなかったというゼスチャーを見せて見送ってくれた。すらりとした美人で、しばらく話しをしてみたかったのだが、いくらかこちらの臍(へそ)が曲がっていたので話すチャンスがなかった。
そして、三人目がこのヤンゴンのホテルのママさんである。
美人だがそれを鼻にかけず、控えめながら、卑屈にもならず主人を立ててそつなく明るく家事をこなす、これはもう男にとって理想のお嫁さんだ。
現在の日本には、そんな「大和撫子」的美人は鐘太鼓で探しても見つからないのではなかろうか。(女性の前で公言できないが) 以上、余談である。