あまりネタにならない事案

 時間的にほったらかしにしていても何らかの着地点が見られるどころかさらにはまり込んでいるような気がするので、とりあえず一端記事にしてみることにする。
 その内容は、「羽田滑走路で施工不良の疑い 鹿島などのJV申告 (日本経済新聞 4/29)」に端を発し、「東亜建、15時から記者会見 羽田空港工事の施工不良疑いについて (日本経済新聞 5/6)」で東亜建設工業が中心となって開発したバルーングラウト工法にて施工した羽田C滑走路の地盤改良工事で虚偽報告を行っていたことが判明し、「羽田滑走路工事でデータ偽装 東亜建設、社長辞任へ (日本経済新聞 5/6)」と社長は辞任するわ、同じ工法を採用した福岡空港松山空港でも虚偽報告が判明するわ、新技術として実証実験を行った八代港でも本施工でボーリングサンプルをでっちあげたのが判明するわ、もう散々なありさまであるにもかかわらず、基本的に難解で土中のため見た目で分かるものでないのと負傷者がいないのと三菱の話が大きすぎるためネタになっていない気はする。

 不正を行った企業の肩を持つとか肯定するつもりは毛頭ないが、新技術を開発しその工法で利益をあげていこうとする場合、えも言われぬ各所からの期待とそれに応えられないときの影響の大きさがあるように思う。
 今回の件についても、日経コンストラクション5/23号によると羽田C滑走路の地盤改良工事においては、『正しく完了したかのように支店ぐるみで出来形データなどを偽装していた』とあり、「「失敗は許されぬ」現場に圧力 偽装、東亜建設前支店長が指示 (日本経済新聞 5/7)」にて『前東京支店長で現執行役員常務が、滑走路の地中に薬液を注入するための穴を十分に掘ることができていないことを知りながら、工事を続行する方針を示していた』『前支店長らには『失敗が許されない』という思いがあり、(部下にも)プレッシャーをかけていた』、発注者側からすれば「入札契約手続きの取り止めについて (国土交通省関東地方整備局 5/17)」にて新たに発注予定であった「東京国際空港C滑走路北側他地盤改良工事」に対し、当該『工事の薬液注入工については、バルーングラウト工法を参考にした仕様としているが、今般、隣接して平成27年度に行われた「東京国際空港C滑走路他地盤改良工事」等において、同工法により施工不良が行われたことが確認されました。このため、工事内容について急遽見直しが必要になったことから、入札手続きを継続すべきではないと判断し、手続きを取り止めました。』という結果を生むことになる。
 また開発者にとっては、「福岡、松山空港でも不正=液状化恐れ、40件調査−滑走路データ偽装・東亜建設 (時事通信社 5/13)」にあるように『3空港とも2008年に開発した工法で施工され、いずれの不正にも開発を担当した本社社員が関与。』という形になっている。
 こういった一連の状況は、一品が何らかの問題点を呈した時にそれにかかるのヒト、モノ、カネというリソースが簡単に取り返せないほどボリュームが大きいことに起因しているように感じる。
 確かに中小企業においても1プロジェクトが飛んでしまうと会社自体も飛ばざるをえないなんてことは日常茶飯事ではあるが、一品にかけるリソースが少なければ少ないほど、会社規模が大きければ大きいほど利幅が少なくなる可能性はあるのだがリスク分散の手段はより多くなると言えるのではないかと思う。
 結局、大型案件の不正に関して「プレッシャー云々」でともすれば自殺という形などで人身御供を差し出すことで幕引きを図ることが多いのも業界に身を置かずとも周知の事実ではなかろうかと思う。
 個人的な経験としても、やはりゼネコンに所属する研究者、開発者というのは間接的に個人では御しきれないようなリソースを動かして、その結果を間接的に責任を感じざるをえない心理状態が常に続いているようである。
 私がとあるゼネコンJVの新技術開発の手伝いを丁稚レベルの立場ではあるが担っていた際、本省の偉いさんが見学に訪れている実証実験中に規定数値が出ず、ゼネコンに所属する研究者の一人はもう制御室の窓から飛び降りて死のうか、残された部下に晒される事態を考えれば部下も殺して自分も死のうかと真剣に考えたと後にいっしょに飲みに行った際に聞かされ、これほどまで追い詰められるものかと驚いたのを覚えている。
 とはいえ、この大問題が発生したときの解決手法は、当時を知る者からすれば、未だに「気合いでなんとかした」と多分、口を揃えてうそぶくと思われる。
 具体的手法は書くのははばかられるため割愛するが、その背後にあったのは、現場付きの官、民の強い信頼関係と現場に携わってきた者たちが築き上げてきたもので解決できるという各人の自信によって現場を支えあう土壌、そしてその現場を鼓舞し、中央官僚とのつながりと調整を行うことのできるキャリア組がいたことが大きい。
 また、キャリア組が今回のような新工法を開発するにあたり、自社や発注者や社会的要請がいかなるものかを熟知していてそれに応えるために必要な思想のようなものを各セクションごとに設定していたことがあるように思う。
 私が担当していた末端の業務でもその意志は息づいていて、たとえば、今回の記事にも、羽田空港の件に関して『計画では薬液約1250万リットルを注入する予定だったが、地中に障害物が多く、穴の位置を把握する計測システムの精度も不十分で、予定通り穴を掘れなかった。』というくだりがあるが、実証実験に至るより先にどういうときに使えてどういうときに使えないかとか、既存のデータが存在する箇所を仮想的に選定して工事をシミュレーションするとか、既存構造物を新技術で作っていたとした場合、何か可能で何に留意しなければならないかなどをJV各社の既往工事資料などを使わせていただいたりして徹底して洗っていた。
 基本的に実証実験では、どんなところで施工しようが問題が起ころうが現場が自信を持って正しく施工できる程度の練度が確保できている程度のシミュレーションが行われているところまでブラッシュアップ(当該工程で不定解である可能性がある内容を除いた一定の水準を超えて後工程と仮想的に対話しながら考えられ得る解や知見を積み上げるような意味)されてしかるべきということでもある。
 実をいうとこういったモノを作らない、工事をしない作業というのは、正直破格であり、一端正式に工事をしながらやっぱダメでしたということを1回やるぐらいなら100箇所どころではない数を仮想的に設計して施工シミュレーションができてしまうということである。
 こうして一見無駄に思えるバックデータを蓄積し、関係する企業が共有することで、新技術でありながら実際の工事に用いられた際にはこなれた現場作業、現場監理、統括を行うことが可能だという考えがあったようである。
 また、先述のとおり、様々なセクションに対してそのセクションに適した意志というものを投入していたようで、例えば、開発者らにおいては、企業間の公開非公開を意識しなければならない知的資産としての交流ではない助け合いの精神(作業や問題点を一人に抱え込ませることでそこが工事のアキレス腱になるのを防ぐ)であるとか、大学で培った基礎研究を行う者という意識から脱却し、いわば新工法を一製品になぞらえて、生産者という意識を持たせるとか、様々な指示が飛んでいたようである。
 こういった様々なバックボーンを抱えた上で、行動可能な者が冷静に普通のありきたりの対応をとったことで結果的に大問題にはならなかったというだけで、結局普段どおりのことをこれらバックボーンという「気合い」と勝手に名付けたものを付加してやり遂げたということに過ぎない。
 今回の件は抽象化すると開発に際してムダを省いてムリになったということになってしまうのかもしれないが、開発に限らずムダを省くことに躍起になって、省いてすぐに完全に破綻しないかぎりそれを再検証することなくもはやムダだと思って省いたがムダじゃなかったことやそれを用いたプロセスなり理念なりが既に知として失われている可能性もあるのかもしれない。
 あくまで想像に過ぎないが、もとをたどれば、開発の時点でのボタンの掛け違えが招いた結果なのだとすれば残念に感じる。

 また、技術的な問題とは全く別に、先にも引用した「羽田滑走路工事でデータ偽装 東亜建設、社長辞任へ (日本経済新聞 5/6)」にて『今年4月、2次下請けの作業員が1次下請けを通じて東亜に改ざんを通報。同21日に社長、同25日、同社の経営会議に報告された。』とさらっと触れられているが、結構重要なことではないかと思う。
 これは、昨今よく耳にすると思われる内部告発などに代表される「公益通報」に関連する話で、公益通報者保護法によって規定されている内容である。
 この法律の制定を受けて、各企業においては、公益通報制度の社内規定を策定し、また建設業者においても例外ではない。
 で、建設工事などに多く見られる2次請け、3次請け、・・・n次請けといった業界構造と、果たして2次請け以上(以下?)は「公益通報者」足りえるのかという問題はあるのだが、2次請け→1次請け→元請けまで上がっている稀有な例ではなかろうかと思う。
 こういった事例などを専門に調査研究している人たちが何らかの声をあげるかも知れないが、制定当初某団体の意向をかなり汲んだ一方寄りの法案だと揶揄されたものの、まるっきり機能しないわけでもなかった(相対論でいえば、という意味でもあるが)と言えるのかも知れないと感じた。
 本当にあくまでも勝手な想像でこんなところだけが引用されて欲しくはないのだが、今回の件の工事においてグラウトの薬液注入量が計画数量の5.4%しか施工していない(cf.国土交通省のpptの資料。探すとすでにサムネしかない。)ことを考えると、1次請けや2次請けにおいて施工計画の員数なり原材料が使われず余ったかっこうになった可能性が高く、さらにはそれに対する支払いも出来高だったりしたなら通報して下請けとしての仕事を干されようが泣き寝入りしようがいずれにせよ首をくくるしかないなどという現実があったとすればやっぱり意味がない法令だったとなってしまうかもしれない。
 と、今後増えるのかどうかは分からないが、いろいろ考えさせられることの多い事案であった。