TOKYO

東京の果てに (日本の“現代”)

東京の果てに (日本の“現代”)

ホットスポット”の「飛び地」は突出したスケールをもち、周辺の文脈から浮き上がった。その空間が暗黙のうちに欲するのは、都市に対する親和の関係ではなく、グローバル経済への連結である。ディベロッパーたちは容積率の緩和を切望し、開発の規模を膨らませ、上空を掘り返した。六本木ヒルズの森タワーは高いだけではなく、太い。品川グランドコモンズには超高層の建築群が高密に詰まっている。汐留シオサイトでは電通ビルのデザインの洗練が目を引く。しかし、多数の超高層建築は個別のデザインにもとづき、脈絡を欠いた景観を形成した。建築の形姿を決定づけるのは、ファサードのためのデザインアイデアではなく、スケールである。森タワーの立面には螺旋状に変化する文節線という工夫がある。しかし、大量の投資を吸い込み、膨大な容積を詰め込んだ建物は貪欲さを隠さない。建築家の東孝光が書いたように、森タワーの「太り気味の胴体」を「近くで見上げれば物量の圧倒は感じられても、近景、中景ではずん胴のシルエットはどうしようもない」。(pp.61-62)

NHKのニュースを見ていると、キャスターの背後に東京の夜景が映っていることがよくあるのだが、どうしてあんなに森タワーは横柄に見えるのだろうか?(画面上で)横に建っている東京タワーが病的なまでに痩せて見える。
東京タワーが建設当時の「夢」の象徴であったとするなら、さしずめ森タワーは現代の「欲望」の象徴といったところか。森タワーは周りで見たことも中に入ったことも何度かあるが、どうもこの建物が好きになれないのは、著者が指摘しているような「貪欲さ」が俺みたいな素人にも透けて見えるからであろうか。もちろん、自己顕示欲のカタマリみたいな人々を寄せ付けるために意図的にこのようなデザインにしたとするなら、見事にミノル氏に釣られたということになるのでしょうけど。


それにしても、「脈絡を欠いた景観を形成した」汐留の惨状は目に余る・・・。街全体として一体感が感じられないのはもちろんのこと、同じ街区内でも統一感が皆無なのはいかがなものか。まるで、たらこミートソースきのこクリームパスタを食べさせられているみたい。まあ、浜離宮から見ると汐留タワーが見えなくなるのが、せめてもの救いか・・・。


第三章がちょっと冗長気味なのが気になったが、第二章で取り上げられているタワー型マンションや監視カメラによって形成される「飛び地」、都市の「切り分け」などについては「なるほど!」と思わせる記述が多かった。

評価は・・・★★★



<参考> 六本木ヒルズ(東京タワー大展望台より)
   


      電通本社ビル(コンラッド東京側より)