Festina Lente2

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『永遠の僕たち』と『RAILWAYS―愛を伝えられない大人たち』

すれ違う気持ち、届かない思い、
そこにある愛がどうして見えないのだろう。
どうして伝えられないのだろう。
青春とはそういうものだろうか。
いや、大人になっても、年を取ってもそれは変わらないようだ。


「永遠」という言葉を「とわ」と読ませる雅語趣味はいかがなものかと、
受験雑誌文芸欄の投稿少女だった頃、批判されたのは30年以上も前の話。
でも思春期、全てが変化していき、価値観、己の拠り所あやふやな時期に、
「変わらないでいること」「永遠であること」に惹かれた人間は多いはず。
そして、人間として生きている時間の短さ、未熟であることが、
却って「死」を身近に意識させ、
青い新芽である自分がいつかは枯れ草となるのか、
若木のままポキリと折れていくのか、
想像しなかった人間は少ないだろう。


年末に見た『永遠の僕たち』。副題は「天国よりも近くにいる君へ」。
原題は『Restless』。余命三ヶ月と死を宣告された少女、
両親を事故で失い、自分だけ生き残った少年、
二人の心が重なり離れそして再び一つになるものの・・・。
死別するということ、その過程を映し出していて切ない。
若者は「死」に遠いと思う人もいるかも知れないが、
特別「死」に魅入られ、招かれる人間も多い。
望まぬ運命に抗うことも出来ず、病に冒されていく者、
世界中で最も失いたくない自分自身を失わざるを得ない少女。
怒りではない。透明な哀しみの向こう岸にどうやって辿り着こうか、
水面下で必死に足を動かしている水鳥のような、そんな世界があった。


少年は自分の命が両親と共に消えなかったことに、哀しみ、苛立ち、
悔しさと怒りで振り回されていた。
何故、自分一人だけが世の中に残されたのか、
何故、自分の一緒に死んでしまわなかったのか、
事故の後、目覚めたのは自分だけという、
生きている幸福よりも、
一人生き残った後ろめたさと寂しさと切なさ。
生きている意味がわからず、自分を見失っていく毎日。
他人の葬式に何度も出続けて、そこで少女に出会う。


少年には幽霊の友人がいる。
誰の目にも見えない彼は、何故か日本の少年兵。
特攻服に身を包み、部屋にも戸外にも現れる。
死を垣間見た少年の視界に、静かに当たり前のように
日本の少年が幽霊が存在している景色のシュールなこと。
空軍兵としては余りに若い命を散らした彼が、
半世紀以上この世にとどまって成仏できずに
異国の臨死体験を持つ少年に付きまとっているのは何故か、
どうしてこの日本兵は少年の目に映り、少女には見えないのか、
不思議な展開のまま、映画の世界は進む。


大人でさえも愛を伝えるのは難しい。すれ違うことは珍しくない。
共に暮らしてきた、戦ってきた夫婦。夫を支えてきた妻。
無骨に家族を愛してきた夫。それでも、お互いの気持ちはすれ違い、
肝心要の部分を伝えきれずに誤解を雨あられと降り募らせ、
別れるしかないと思い詰めた行動に出て、家を捨てる妻。
残される夫。親子、夫婦がどんどんぎくしゃくと。
そんな日本の物語が『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』
いかにも日本人らしい、頷けるすれ違いが描かれている。


田舎の、富山の小さなかわいい電車を背景に、
大人であること、男であること、女であること、親であること、
先輩、上司、同僚、様々な役割の中で、たった一つでは駄目、
色んな役割をバランスよく果たさなければ、
せっかくの気持ちも伝えられないと、観客をやきもきさせる場面続出。
当たり前すぎるくらいに切ない描写。
でも、これって思い当たることがあるなぁ・・・。


大人でさえもこうも不器用なのだから、
子どもの領分、領域にあって、透明な心や体を
「死」に絡め取られた少年少女はどうやって自分の気持ちを、
心をコントロールすればいいのか。
泣き喚くことで? 喧嘩することで? 
死に旅立つ者は哀しい。自分を失うことがわかっているから。
死に旅立つ者を見守る者も、また哀しい。
かけがえのない者を守れず見送ることしかできない、
その無力感や虚しさが、怒りや愚痴に吐き出され、
涙も尽きるかと思われる時、諦めが救ってくれるというのだろうか。

映画 RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ オリジナル・サウンドトラック

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RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ (小学館文庫)

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