村松友視『トニー谷、ざんす』毎日新聞社

 

帯には永六輔が「村松さんはトニー谷の味方です。」という言葉を寄せている。村松友視は以前『私、プロレスの味方です』という本を出したことがある。プロレスについては一ファンとして自分の味方や思いを語っていたが、トニー谷についてはよく調べてまとめている。この本はトニー谷の評伝といっていいだろう。
 帯に言葉を寄せた永六輔ボードビリアントニー谷を高く買っており、トニー谷晩年にライヴハウス「ジャン・ジャン」での「トニー谷ショー」を実現、若い世代にもその魅力を伝えた。
 永曰く「しかもステージ、これが粋だった。三亀松さんが死んでも、この人がいれば、江戸前の舞台は残っていくな、というくらいの粋な舞台でした」「大スターでしたけれど今になってみると、あの扮装とやり方はラジオの人だったかなって思います」
 占領下の日本に “トニー谷現象“ を巻き起こし、昭和30年に起きた愛児誘拐事件をきっかけに急速に勢いを失ったトニー谷。戦後日本の時代の変化、その戯画を体現したような芸人。村松友視は祖父の村松梢風がつぶやいた「トニー谷の舞台には品があるよ……」ということばがずっとひっかかっていたという。
 芸能ファンにとっては占領下日本でのジャズブームや日劇の雰囲気がわかるのがうれしい。
 そして、トニー谷愛児誘拐事件は、その後常態化するマスコミによるワイドショー現象の先駆けにも見える。週刊誌の記事など、トニー谷時代の寵児だったとはいえ誘拐事件の被害者なのなだからこれはないだろう、となるのと同時に、トニー谷人気を苦々しく思っていた人も多かったのだなと分かる。事件当時、いたずら電話にも悩まされたそうで、今ならこれにネット炎上が加わるのですね……
 トニー谷を追うことで戦後日本の変遷が辿れます、とくに芸能ファンでなくてもおもしろく読めますよ。読んでみてね!

 

 小林信彦『決定版日本の喜劇人』新潮社では、小林信彦が立ち会った大隈講堂での、ヴォードヴィリアン・トニー谷、戦慄のスタートアップの模様が記されています。

 

 

トニー谷の死後に出た、大瀧詠一プロデュース「ジス・イズ・ミスター・トニー谷」も、若い世代にトニー谷の魅力を伝えました。

 

 

いまは、YouTubeトニー谷の歌、聴けます。

 

 

さてここからは、読んでて私が思ったことになりますので、とりとめないし、かたよってるぞ。

 

 

ピーウィー・ハーマンのことを思い出してしまった。映画「ピーウィーの大冒険」、大好きです。マンガの登場人物のようなキャラになりきって、アメリカでは子供向け番組などで大人気だったそうですが、ポルノ映画館で逮捕される事件を起こし、干されましたね。しばらく時間を置いてから、再起しようとしているニュースが伝えられたりしてたのですが、2023年がんのために亡くなりました。ピーウィーがポルノマニアだったのは事実ですが、彼は他者に危害を加えるような事件は起こしていません。誤解されているのなら、そこは正していただきたい。

 

また、このトニー谷についての本を読んでいて、何故か橋本治のことを思い出していました。
 物書きとしての橋本治は東大出のインテリ男ですが、その根っ子は "東京の子" で、ライターとしての彼の魅力は東京の子の話芸という面が大きかった。『九十八歳になった私』が落語なら、『アストロモモンガ』はトニー谷寄りの一品じゃないでしょうかね。
 東大出インテリ男という枠内では "へんなヤツ" で、橋本治自身若い頃はそれをしきりにアピールしていて、80年代若者向け文化人の極北みたいな存在になりながら常に同時代を侮蔑嘲笑する振りを見せ、それがファンに受けてた。――乱暴な切り方になってますが、そういうところがあった、私にはそんな風に見えてた。
 トニー谷に対しての村松友視みたいな書き手が、この後、橋本治に対しても現れるのだろうか? 現れて欲しい、そう思いました。
橋本治は自分で自分のこと書きまくってるじゃないか、と言われそうですが、当人が書くのとは別に受け取る側のものがあった方がいいし、語られ方がなんかかたよってるなへんだなそういうのばっかりになるの、みたいなのがずーっとあってね。インテリ業界って淀川長治永六輔みたいな役してくれる人がいない世界なのかしらね???)

 

 

 

ピンチを救う

 

気をつけないと そして 見習わないと ね 👍

元気でね!

 

3月には日本各地でこういう場面が(心情だけの場合も含めて)あったのではないでしょうかね

環境変わっても、いい思い出とともに、元気でいきましょうね! 😊