支持政党なし

 内閣の支持率と同時に政党支持率世論調査では明らかにされることが多いですが、政党支持率はそのたびごとに微妙に変化します。変化はしますが、圧倒的多数の「支持政党なし」の層、無党派層が政治を動かしているのは事実です。たとえば大阪維新への支持が高いという。期待値としての高さは、支持政党を持たない人たちが「当面」支持を表明して政治を動かそうという積極的な意思の表れと好意的に解釈していいと思います。

 思えば先の政権交代の時も、民主党への期待が高く、一時は自民党をはるかに超える支持率を得ていましたが、これを支えていたのも無党派層でした。

 考えてみれば、長期にわたるデフレ経済で、政党への支持で経済的な利益が守られるという構図はまったくありえない話となっています。無党派層が増大するのは根拠があります。経済的な利益に結びつかない組織に所属するというのは、どんな場合があるでしょう。いまは結びつかなくても将来に期待するというものか、あるいは経済的な利益を求める必要性がない場合か。

 話は少し脱線しますが、会社は人をクビにできます。その組織の目的や利害に反する場合、放逐できます(法的に云々という話はここでは置きます)。どんな団体・組織でも目的に合わない場合は個人はその組織を離れることができます。

 しかし、国家という組織はそれを容易に許すことができません。国民の定義についての各論もここでは置きますが、国家と国民の関係を考えるとき、国家は国民を簡単に放逐はできませんし、してはならないはずですが、事実上の「棄民」はどう考えたらいいのでしょう。また、国民からすると、会社であれ、学校であれ、「辞めたい」意志は尊重され、自由は保証されるでしょうが、国民であることをやめたいということはおいそれとは言うことはできません。

 昨今の政治への不満の鬱積は、国民が政治とその背景にある経済の改善に、力を発揮しようにもそれができないことが原因となっているのでしょう。国民をやめることが許されないのに、国民であること、その誇りとか、充実感とか、を得られる機会を奪われているようで。

 その時々の、状況によって推移する支持率の数字の動きを眺めながら、政党が政治の中身を確立できない本質の解決を急がなければ、自暴自棄になる無党派層を増大させる危険も増える、ことを危惧します。いまは、幸いにして、建設的な無党派層が、ポジティブに、日本を見捨てることなく、「金曜日」を軸にすえて集まっています。この将来の日本を創出するであろううねりを、単なる「人数」としか捉えられないようであれば、そうした政党は確実に淘汰されていくでしょう。

 さて厚木市議会としてはあいかわらずの各種日程が予定されています。地方議会の役割からすると、どんなにがんばっても日本の政治を左右させるほどのインパクトを持ちえませんが、しかし将来に向けた布石をうつという気概を忘れてはいけません。