ルネサンスにおける霊魂論の変容 Park, "The Organic Soul"

The Cambridge History of Renaissance Philosophy

The Cambridge History of Renaissance Philosophy

 人間の知性や意志の働きをつかさどらない部分の霊魂(以下単に霊魂と呼ぶ)について、ルネサンス期の哲学者たちがいかに議論していたかを概観したこれまた基本論文である。これが今でも引かれるのは、その後半部でルネサンス期にこの問題に関する議論がこうむった変容を非常にわかりやすいかたちで描きだしているからである。

 著者によると1500年以降、霊魂をめぐる議論においておかれる力点が変化しはじめる。変化のひとつは、霊魂論を単純化しようというものである。この変化をよく示すのが、霊魂の能力は霊魂それ自体とは区別できるかという問いに対する答えの変遷にみられる。中世の哲学者の多くは、霊魂が持つ様々な能力の区別は霊魂そのものに内在的であると考えていた。この場合、霊魂が行う様々な働きの違いは、形相のレベルに存在していることになる。霊魂が多様な能力を抱えこんでいるモデルだ。これにたいして唯名論者たちは、霊魂の働きの違いは霊魂そのものには内在していないと考えた。霊魂が行う様々な働きは、あくまでそれが結びつく質料の違いに対応している。能力の区別を内包しない単純な霊魂が、それが働きを発現させる器官におうじて異なる働きをなすというのだ。

 中世には少数派であった後者の解釈が、1500年ごろをさかいに広い支持をあつめるようになる。これにはアリストテレスをより忠実に読もうとする一般的動向が寄与していた。後世の解釈者たちが付加した概念をとりはずして、純粋なアリストテレスに帰ろうとする人々にとって、霊魂自体に数多くの能力を認める複雑な学説は間違いであるように感じられはじめたのだ。メランヒトンやヴィヴェスは、霊魂に区別を帰せるかどうかを問う議論をスコラ学の不毛さを象徴する議論として攻撃しはじめた。もちろん引きつづき霊魂自体に能力の区別を認める論者もいた。ザバレッラがそうだ。しかしかれも自らが少数派となっていることを認めざるをえなかった。アリストテレスの霊魂論を単純化しようという動きは、形象(species)の議論も駆逐することになる。

 もうひとつの大きな変化は、身体の見せる働きについて、霊魂の定義から説き起こすような一般的な説明ではなく、器官自体の働きから出発するような説明が多くなったことにある。この変化の背景には、ギリシア語史料が広く利用可能になったこと〔著者は触れていないがそれによりガレノスの著作全体が知識人の共有財産となったこと〕や、ヴェサリウスに端を発する新しい解剖学の進展があった。これにともない旧来の問いも形態をかえはじめる。発生の問題は、異なった水準の霊魂が順次注入される過程というより、連続的な器官の発展過程と理解されるようになる。また人間はひとつの霊魂をもち、それが感覚的霊魂と理性的霊魂の働きをなすのか、それとも二種類の異なる霊魂を持つのかという問いへの答えも変化した。前者が主流であった状況から、後者が一定の支持を得る状況に移行したのだ。これにはアヴェロエス(後者の学説をとったと考えられていた)の影響力の拡大と並んで、身体活動をつかさどる原理に強い自律性を認め、それ単独で研究できるようにしようという動機の増大が寄与していた。

 だが最大の変化は、感覚的霊魂自体を物質化していく傾向に見られる。感覚霊魂は精気であるというのだ。メランヒトンはこの可能性を提示していた。テレジオはよりはっきりと精気が霊魂の実体であると断言し、それをアリストテレスに帰した。この見解を引き継いだカンパネッラは動物をマシーンと形容するようになる。こうして中世の霊魂論は変容し、デカルトホッブズが17世紀に提示することになる方向へと舵を切ったのである。