身体の言い分

身体(からだ)の言い分

身体(からだ)の言い分

最近、マッサージとか整体のような東洋医学の威力に関心することが多いので、この類のタイトルの本があるとつい手にとってしまう。

著者の一人、池上六朗さんは三軸修正法という治療法を提唱している治療家だとか。この本では治療の方法などは紹介していないけれど、僕がこの本から感じたのは、人間の細胞はそれ同志がつながっていて、しかも大半が水分なのに重力にさからって一つの組織を作っているという現実を受け止めて、ではどういう状態が自然に心地よくって逆にそうでない状態が辛いのか、それが治療の原点である、ということだったと思う。

治療法はいろいろあるのでどれが良いとは言えないが、僕が整体を受けた後にいつも思うのは、両足は地面をしっかりと押さえ、地球からの反作用によってエネルギーを感じるようだし、ボール・トレーニングで自分の重心を意識する作業をすると、体のバランスが良くなるためかやはりエネルギーを感じることが多い。これらと同じ原理なのかもしれない・・・。

もう一人の著者、大学教授の内田樹さんといろいろなテーマについて対談した様子がこの本。テーマは治療法に限らない。精神、生き方、考え方などの対談は面白い。

残念ながらこの方々の著書や仕事に触れる機会がなかったので、いきなり対談集を読んでもピンとこないところがたくさんある。知っていたら楽しめたであろう面白さの半分しか味わえなかった中でも、これは面白いと思ったのが仕事についての意見。

社会の承認を求めて必死になる今の人たちについての苦言がある。

  • 『社会の承認を求めていると言いながら、社会のことなんかぜんぜん見ていないんですよね。』
  • 『きみが取ろうとしているそのナントカ士という資格は、いったい世の中にどのような需要があって存在し、どのような社会的寄与を果たすべきもので、だれを喜ばせるものであって、どういう経緯で発生してきて、今何人くらい有資格者がいて、将来的な需要の推移の見通しはどうであるのか・・・というようなことを訊くと、絶句しちゃうんですよ。』
  • 『社会的認知を求めるということが全部エゴイスティックな動機付けの語法でしか語られていない。その能力を使ってどんなサービスをして他人を喜ばせて、世の中によいことを積み増しできるのだろうかということを本気で考えている人は、「キャリアパス」なんてことを口走りませんよ。』

資格だけではない、社内の昇進、社内の競争、より大きな仕事、より大きな責任。これらは会社で生きる以上は避けられない。仕事の動機付けとしては実に強力なものだが、これらに囚われすぎてしまうと、承認は受けるけれど社会への貢献がおざなりになってしまう、ということなのだろう。

『つまりはすべてに対して、自分で何とかするよりしょうがない。(中略)自分は何ができるのか、というのは自分で決めるよりしょうがないと思うんですよ。』

仕事は他の人からどう見られよう、とか自分の年齢はこうだからこれくらいはやれるようになりたい、で選ぶものではないということなのだろう。現実はそんなに簡単ではない。今の仕事が選べないことも多い。しかし、いつかこんなことをやりたい、と念じて準備をするということが、チャンスが来たときに報われるのだろう。




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