人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか

まとまった時間が取れず、あるいは割いた時間で読み通せなかったためか、3回くらいおさらいした本です。初版は2007年3月で、サブプライムローン/住宅バブル崩壊前ですが、それによって議論が古くなった感じはしません。

「人々は…」「見誤る…」の対象がはっきりしないので、自分の解釈を加えると、そのままズバリ「グローバル経済の仕組みを解説する本」です。面白いのは、グローバルで見ていくと、実物経済を金融経済が振り回すようになった。従来は実物経済が頭だったのが逆になった、という解説。

分かりやすい例では、金融取引のフローは2004年で見ても、貿易取引のフローに対して83倍の規模になっているそうだ。株価を予想するには「実物経済のファンダメンタルよりも、マネーの需給に影響を及ぼす要因」の方が重要になっている、とも。資産運用の世界でも、ここ数年でファンダメンタル分析では説明できないことが増えている。自由化された金融は「グローバル」という空間をあっという間に駆けめぐる。

金融の自由化は規制緩和の結果だけれども、そもそもなぜ金融取引がかくも膨張したのか。資本が経済の成熟化に一定の効果(循環)をもたらし、人口増加率が減りはじめると、資本のリターンが低くなって、余ったマネーは実物投資から資産への投資(取引)へ向かうのである。

今まで中国で起きていること(中国の不動産バブルを除いて…)は実物投資ではないかという見方もあるが、確かにそれ自体は実物経済だけれども、グローバル全体で見ればより安い生産コストを求めて、労働力が主要国から中国に、中国の国内で見れば沿海部から農村部に、移っているにすぎない。

昔は日本が貿易黒字を積み上げ、外貨を米ドルで保有していたのが、今度は中国が同じことを行っている。実物経済で稼いだお金は、米国債保有され、一方で国債を買ってもらった米国は対外投資で黒字を得る。では、なぜ外貨が米ドルで保有されるかというと、それこそが基軸通貨国のメリットなのであり、金融立国を進めてきた米国の戦略、と指摘される。

この話にはおまけがあり、中国経済が過熱して資源価格を暴騰させた結果、産油国が潤って米国に資金を還流させたということと、余ったマネーが米国などの不動産に投資されて、かの不動産バブルの一因となったこと、さらによく知られているように不動産担保によって米国の消費が膨張した面もあるから、幾重にも増幅されて今日の姿に至っている。

ではどうしたら良いかと言うと…、の部分で著者はグローバル経済圏の企業とそうでない企業を分けて論じ、前者は競争、後者は公平を掲げる。先日読んだ野口さんの「日本だけが取り残されるのか」と共通するのは、輸出製造業を支援し続けるのは止めよう、と。この本が出版された2007年以降、自動車業界が置かれている状況もいっそう厳しさを増してきたから、トーンの違いはあるものの同じメッセージであろう。

競争という点では、昨日の記事でも触れたのだが、経産省の産業構造ビジョンの詳細なレポートは危機感があってなかなかよろしい。金融業界として、資産運用業界として、どのような形でサポートできるかは、考えさせられるところだ。

「一国のマネーサプライとインフレ率は関係が薄まった」など、グローバルの景気や経済を見る際にはグローバルで物事をみるべき、という主張が一貫している。経済指標の見方も、昔のように一国だけ見ては不十分だし、実物経済の指標だけ見ても駄目だろう、と思った。




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