小高賢『老いの歌』『土屋文明歌集』

 小高賢『老いの歌』
 土屋文明自選『土屋文明歌集』

 「老いの文学」として短歌を捉えた小高賢は、2014年2月に亡くなった。高齢化社会で、老いを自らの内側から眺め、考え、悩み、短歌で表現する。老いを新しく生きるフロンティアとして老いの歌の隆盛に注目した小高は、小説でなく、詩でなく、俳句でなく、短歌が老いの心情に親和性を持っていると指摘している。
   老いの歌は多様であり、有名、無名の歌を小高は、この本で取り上げて老いの歌の特徴を述べていく。老いの時間として身体・病・労働・食があり、戦争記憶、死者の思い、エロスとユーモアがあり、親子・夫婦など家族の歌がある。
   有名歌人では、斎藤茂吉土屋文明、宮英子、斎藤史、竹山広、清水房雄、馬場あき子、岡井隆などの老いの歌が取り上げられている。女性である宮、斎藤、馬場の老いの歌は、興味深い。
 私は100歳まで生き、亡くなる直前まで作品を創っていた土屋文明の小高の解釈が面白かった。83歳から100歳までの歌集「青南後集」「青南後集以後」から引いているが、そこには年齢を突き抜けた自分の実在が明晰に歌われている。ユーモアを感じる生きる余裕さえ感じさせる。ちょうど岩波文庫で『土屋文明歌集』が復刊された。
  「いつに間に時のすぎたる手も足も我をはなれし如き日続きて」
  「今朝の足は昨日の足にあらざるか立ちて一二歩すなわち転ぶ」
  「百年はめでたしめでたし我にありては生きて汚き日続きて」
妻に先立たれた時の歌は秀歌だろう。
    「黒髪の少しまじりて白髪のなびくが上に永久のしづまり」
    「さまざまの七十年すごし今は見る最もうつくしき汝を柩に」
      (『老いの歌』岩波新書、『土屋文明歌集』岩波文庫