ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』

ヴィクトル・ユゴーを読む④」
ユゴーノートル=ダム・ド・パリ』)(上)

 15世紀のパリの都市や民衆が生き生きと描かれている。民衆たちが集合した場面から始まり、道化的な法王選出と行列と発展にいたる。枢機卿などのお偉方はちょっとしか出てこない。学生や主婦、娼婦、下層市民、乞食などが生き生きと書かれている。
 下層の任民窟に、劇作家が紛れ込み、乞食などと共に処刑されそうになるが、ジプシー娘エスメラルダに助けられるなどのサスペンスもある。ラブレーのガルガンチュアに近いと思う。
 ユゴーの凄さは、ノートル=ダムの屋上から、中世パリの建築物初め、大学区、市街区、中の島の都市を綿密に書いていくことにある。これを読むと中世パリの生態がよくわかる。
 ユゴーは、中世建築の崇拝者だから、その建築物が崩壊していくことに無念に思っている。第三篇の「パリ鳥瞰」は、何度読んでも、中世パリの景観がよくわかる。建築構築思想なのだ。そこに人々の生活の情念が絡んでくる。劇作家だから、舞台美術は重要である。景観小説なのだ。
 ユゴーは建築を、思想であり、文学であり、絵画であり、音楽だと見做していた。ユゴーは15世紀に発明されたグーテンベルグの印刷術が、建築を滅ぼすとしている。書物が建築を滅ぶすことについては、第5編に詳しく書かれ、ユゴーの思想を十分に主張していて面白い。現代では書物が、ネットによって滅びてゆくとユゴーは書くだろう。
 この小説の主人公たちは、何らかの形で差別された少数の「被差別民」である。
 ノートル=ダムの鐘つき番で聴覚が失われた畸形のカジモト、その育ての親、司祭補佐クロード・フロロ、ジプシー娘エスメラルダなどが、それぞれの「宿命」によって、ドラマを作っていく。上巻は、大衆とそこに生きる都市景観の描写に感心する。(岩波文庫(上)辻昶、松下和則訳)