山滴る

 ほとんど使われなくなった季語で、夏は山滴るのだそうだ。宋の画家の絶句からとったようだが、ほんまかいな?春は山笑う、というのもなかなかいい。
 宵山期間の某日未明の豪雨は、滴るなどという生易しいものではなかったという。もちろん九州の豪雨はそんなものではないが。
 京都の豪雨は、市の北西山間部が最も強かったらしい。しかし、北東山間部もたいがい降ったようである。朝にいつものように花背方面へ向かうと、鴨川が濁流と化しており、そこかしこで道路が不通になって、道路公団などが出動。住宅地の小さな支流も濁流であった。

 南の方はどうかと、取って返して瀬田から信楽方面へ向かう。豪雨の瘢のかけらもない。やはり局地的豪雨であったらしい。信楽に行かずに和束に下りて、裏大正池をのぼってみる。何度か下ったが、いちどのぼってみたかったのである。田畑地帯を抜けて本格的なのぼりに入ると、異常な辛さが続く。それもそうで、10%強がえんえん続くので、死にそうになる。景色は良いが。下ってくる人は大勢いるが、のぼる人は誰もおらず。ある意味で花背よりしんどい気がした。単にはじめてだからかもしれないが。なんとか34×21でのぼりきって、ゼエハアする。

 下りは緩斜面で爽快である。軽トラが先に行けと止まってくれた。確かに見通しの悪い一車線府道であった。井手町でさんざん迷い道をしたあと、玉水橋から川沿いに、向かい風相手に回す訓練と洒落込みながら帰宅した。
 某翌日、あまりの晴れっぷりに、もう一度北へ向かってみる。だいぶ道路はなおっている。道路公団をはじめとした整備の人達に感謝。花背峠は、途中のいつも水の多いところだけ、川のようになっている。ちょうどそこで後ろから大型が来て、水の中を走る羽目に。最初からずぶ濡れ。その後も泥でスリップしたり、さんざんで、30分は切れず。しかし裏花背からは豪雨の跡形もなく、快走路。本当に局地的な豪雨であったことを実感する。広河原、佐々里峠も路面がきわめて良好である。
 佐々里峠にも夏が来ていた。

 由良川も濁流にはなっておらず。

 このあと、白石のあたりでサイコンを落とす。しばらく行ったり来たりして探すが、砂石に紛れて見つからず。買い換えろという天命を感じて、そのまま行く。かやぶきの里で少し買い食いし、九鬼が坂を越え、日吉まで行くが道の駅の混雑ぶりにあきれて買い食いし、周山でソフトクリームを食べて、再び裏花背から帰宅した。