ゴンドラの舳先(伊太利亜旅行 其ノ五十五)

某日。古書店に註文してあったアンリ・ド・レニエ、青柳瑞穂訳『水都幻談』(平凡社)が宅急便で届いた。同日後刻、別の古書店からアンリ・ド・レニエ、窪田般彌訳『ヴェネチア風物誌』(沖積舎)が郵送されてきた。
永井荷風が絶讃する詩人、小説家アンリ・ド・レニエの二冊(ともに絶版)は別物とおもっていたところ、開いてみるとおなじ散文詩集で邦訳名が異なっているのだった。はじめは「あれっ」だったが、これも古書のたのしみ、訳者それぞれの風味を味わおうとふたつを眺めながら晩酌した。ゴンドラの舳先についてお二人の訳文を示しておこう。
青柳瑞穂訳「画舫(ゴンドラ)は屋形のかげにわれらを揺り/へさきなる刃はそが腕もて/しじまを切りつつ進む、/潮風に眠れるしじまを。」。窪田般彌訳「ゴンドラは屋根の下で/われらを揺らし、舳先の鉄は/刃をふるい、潮風に/眠る沈黙(しじま)を切り開く。」