気になるなる。
2006−11−21の記事紹介エントリー追記しました。・・・一応これでおかしいところは、・・・あまりないとは思うけど。なんか変だったらコメントでもメールででもお知らせください。意味通じるといいけどなぁ。
ところで、先日扱った「江戸の男色」には、上方中心だった江戸期の男色を裏付けることも目的とした図像学の本でもあるということらしいのだけれど、*1その通りに100近くの男色図を示してくれている。
・・・、昔の絵ってさ、なんかこう・・・・妙に表情に乏しいて言うか、ミョウチクリンな絵柄じゃない?あれ、何考えてるんだろう、変なの。て感じがしてアホっぽい絵に思えちゃうんだけど。
でも、繰り返し繰り返し多くの図を見てると、それなりに艶本がいかがわしく見えてくるのだから不思議・・・。*2
同性愛者に向かって言う、「自分はストレート/ノーマルだ」という表現。
追記:先に要点をココにまとめておこうと思う。
- セクシャリティは相対化される言語であるはず。
- なので、そこにノーマル/ストレートなる意味は見出されない。
- なのに、自分をノーマルryと呼ぶは被差別者と自分を隔すこと。
- 社会的に抑圧されてる者に向かって「ノーマルではない」というのは著しく相手の自尊心や自己肯定度を傷つける要因となる。
ということを続きに長々と書こうと思う。
さて、
世の中には多くの哀しみで溢れている。出自で拒まれたり、稀有な容姿であることでけなされたり、・・・少数である事で無言のうちに、あるいは隠れた意図として排斥を明言されたりするのだ。
これもその一部といえる。
なにか?
それは、同性愛者に対する、無意識的あるいは作意の排斥という「選別」だ。
ところで私はブログ巡りが好きだ。
好きなブロガーの内に、ヘテロセクシャルの者もいる。これから言うことは、その好感を持ってるブロガー(に限らないが)に対しても攻撃的なことと映るかもしれない。それは私としても実は苦痛であるし、柔らかい物言いで語れたらいいのだけれど、多分どうしてもきつめな物言いになる思う。
他の読者様にもきついと思われるかも。・・・と言っても、以前からそういうことも一部口にしてきただろうし、ココを覗いて下さってる読者様には今更な事かも知れない。そして、私と言う人物が今更な事をくどくど語りたがることもご存知かもしれない^^
まあそういうことを言うつもり。では以下長いとは思いますが、興味あったりお時間があればどうぞ続きを読むをクリック〜。