ハイオク

三田文学』に載ってる保坂和志の「ある講演原稿」を読んでいたら廃屋の話が出てきてそういえば僕も子供のころ廃屋で遊んだっけな、と懐かしい。確かに廃屋はおもちゃだの雑誌だのコタツだのいろんなものがそこに住んでいた人が生活していたそのままにそこに残されていた。僕ら兄弟とナオくんの兄弟は僕の家の前の家の裏の家が廃屋になっていたそこに忍び込み、二階に残されていた家具をバタバタと一階に全部放り投げて二階をだだっ広い何もない空間にするのに三日くらい毎日そこに通って頑張った。二階の床には物を上げ下ろしするための穴が空いていたような気がする。そこからイスだの本箱だのを全部一階に落としてしまって二階は20畳くらいの何もない一部屋になったが部屋の真ん中にものすごく太い柱がある、小学校の校庭にあったメタセコイヤの幹くらいの太さだったその柱にナオくんはビックリマンシールのコレクションを惜しげも無くペタペタと貼りまくった。きらきら光るシールもみんな貼った。何に使おうと思ったのかナオくんは家からブリキのバケツを持ってきたんだったがその翌日大人から廃屋に入るのを禁止されたためナオくんの家のバケツは廃屋の二階の大黒柱の横に置きっ放しだ。お墓のある山にお墓まいりに行くとき通る山の道が廃屋の二階の窓とちょうど同じ高さでお墓まいりに行くたびに廃屋の薄暗い二階の室内を見ることになる。大黒柱はビックリマンシールでキラキラと光り何もない部屋にブリキのバケツがひとつちょこんと残されている。