小川町・脱穀&収穫祭


11月23日、USPファームの農業体験会「脱穀」&収穫祭を開催しました。
6月の田植え、7月の草取り、10月の稲刈りと、農作業を体験し、成長を見守ってきたたお米。いよいよ、脱穀・精米していただだきます。
今回は東京からバスで小川町に向かいます。集合時間の東京は雨。稲刈りに続き、雨の中での作業か?と心配しましたが、小川町へ近づく頃には青空に。紅葉の美しい小川町下里分校に到着です。下里分校は、丁寧に手入れされており現在休校中の小さな木造校舎。まるでここだけ昭和30年代から時間が止まっているかのようです。

分校の教室をお借りして着替えをしたUSP研究所の社員と有志、総勢12名が、芋煮班と脱穀班に分かれて作業開始しました。今回も、小川町で新規就農されて数年、USPファームの管理をしてくださっている松永さんの指導のもと、2種類の昔の道具を使って脱穀を体験します。
[千歯扱き]
江戸時代の脱穀機です。歯と歯の間に数本ずつ穂先を通してひっぱると、一粒ずつ籾が落ちます。全部この道具で脱穀するとなると、気の遠くなるような作業ですが、お米を傷めない方法であるため、今でも来年の苗となる種もみをとるときには使われているのだとか。
コツをつかむと、一度で籾がポロポロと取れて快感です。5才の女の子がこれにはまって、つぎつぎと脱穀してくれました。初参加の男性が稲穂をそろえて渡し、女の子が脱穀。初めて会った2人が自然に協働しています。


[足踏式脱穀機]
地元の方は、その作動中の音から「ガッコン」と呼ぶそうです。大正から昭和30年ごろまで使われていました。
U字型の針金がたくさんついたドラムを、足踏みミシンと同じ原理で高速に回し、その上に穂先を乗せると籾が飛びます。千歯扱きと比べると能率が飛躍的にアップしています。現在の自動脱穀機も動力が違うだけで脱穀の方法は同じだと聞くと、ガッコンがいかにすごい発明だったかがわかります。いったん回転を始めると、軽く踏むだけであっという間に脱穀完了です。


脱穀ができたらシートに飛び散っている籾を丁寧に集めてゴミを除きます。苦労して脱穀した籾は一粒も無駄にしたくありません。


集めた籾を還流式精米機に入れ、籾すりと精米を一度に行います。すり鉢状の入れ物の底の部分の一方から籾が下に落ち、こすられてもう
一方からわきあがってきます。徐々に籾ガラがとれて白いお米が現れてきました。「お米」が誕生する瞬間です。田植えから参加してきたみんなは感慨もひとしお。大人が何人も精米機のまわりに陣取り、飽きることなく見つめます。


脱穀作業が終わり、精米を待っているところに芋煮のいいにおいが。参加者全員で新米のご飯をおにぎりにして、収穫祭の準備をします。腕利きエンジニアの手、お母さんの手、子供の手、いろんな手による大小のおにぎりが並びました。おかずは、USP社員の故郷の味、温かい仙台風芋煮と、いつもお世話になっている「べりカフェつばさ・游」の野菜たっぷりのおかずです。

そして忘れてはならないのが、小川の地ビール。「乾杯」のかけ声もそうそうに、農作業で渇いたのどを潤します。初めて飲んだ方は必ずこのビールのおいしさに驚かれます。この日朝まで飲んでいたという猛者も「顔全体に浴びたい」と迷コメント。「車で来なくてよかった〜」と漏らすモーターファン。
手作りの梅干し(3年もの)にはまる子供たち。ごはんの甘さをじっくり味わいながら、芋煮もビールも「おかわり」が続きました。
※みんなで脱穀・精米したお米は、収穫祭の間に炊き上がり、おにぎりにして参加者のお土産になりました。

以下、後編の霜里農場見学へ続く…。