どはまり

今学期から始まった専門分野の講義準備を日々猛然とやりすぎていて、家では「どはまり」と呼ばれていた。
初めて聞く言葉だったが、某大学で「楽勝」科目の反対を意味するジャーゴンらしい。
しかしはっきり言って、どはまってるのは学生よりも教師のほう。
一番きつかったのは雑用で忙しい時期、アルフレッド・メトローの英訳をしばらく毎週読み込むことだった。
自分で課して自分でつらい目に遭っていた。
だって先生、準備なしでいきなり読んでスラスラなんてわからないし、何か聞かれてちゃんと答えられる自信ないから。
おかげでハイチのヴードゥーにはずいぶんくわしくなった。

実力ないのに背伸び、背伸びで日々乗り切っている。
「ありあわせ」の自分、ということを最近つくづく考える。
若いうちの土台がないから、その場その場の集中力とバラバラな過去の寄せ集めでなんとかやっていくしかない。
たぶん今後もずっとそう。
といいつつ、「ありあわせ」については積極的な意味を見いだしている。
人から知恵が生まれるのは、実はそういう状態からであろう。
…と、なんだかレヴィ=ストロース先生からの受け売りですが。

クレオール話者を迎えての最後の授業、懇親会、レポート読みまでどはまりは続く。
50肩が悪化し、体力は限界ながら、ようやくほぼ乗り切った。


ところで全然関係ないが、今年は西瓜の当たり年だと思う。
いつ、どこで買っても、例年より瑞々しく甘くておいしい。
夏好きにとっては幸せなことだ。