RFCと英国のEU離脱

 「グローバリズムナショナリズムか。国論真っ二つの英国で有権者が選択したのはEUからの独立、なかんずくナショナリズムだった」。
 これは国民投票の翌日、土曜日付の日経新聞1面に掲載された欧州総局長氏の論評です。
 う〜ん・・・、なんだかちょっと違うような気がするんですよねえ・・・。
 日本を代表する新聞のご高説に僕なんぞが異議を唱えるのも失礼な話しなのですが、どうも、この評者の言説の背後には「グローバリズムは正しい」という前提が隠れているような気がしてなりません。
 ほんとうにグローバリズムってそんなにいいものなんでしょうか。
 よく言われることではありますが、極端なグローバル化や市場の自由化によって、生活者や勤労者の暮らしから安心や安定がなくなり、かつて一億総中流とまでいわれた分厚い中間層はいつの間にかどこかへ消え失せてしまいました。とてもグローバリズムが人々を幸せにしてくれるとは思えないのです。
 だから、今回の投票結果は、今のEUというシステムが「共同・共生」という、そもそもの理想からはほど遠い、市場原理主義者や拝金主義者が跋扈する「カネ儲けに都合のいいシステム」になり下がってしまったことに対する異議申し立てであるような気がしてなりません。
 度を越えたグローバリゼーションは、人々を「統合」するどころか、むしろ「分断」させるものであり、その意味では今回の国民投票の争点は、日経新聞が論評したような「グローバリズムナショナリズムか」ではなく、「グローバリズム反グローバリズムか」ということだったのだろうと思います。


 そういえば10日投票の参院選も、ほんとうの争点は憲法改正。これはこれでとても大事な選挙になりますね。
 それから今回の国民投票ポール・マッカートニーリンゴ・スターは、いったいどっちに投票したのでしょうか。う〜ん・・・、なんだか気になるところです。


 どうして僕が、こんなえらそうなことを長々と書くのかというと、やっぱり
「RFCという“共同体”は素晴らしかった」
ということが言いたかったからであります。
 サークルの活動軸を、「アウトプットの質」という軸と、「構成員の共同・共生・親睦」という軸の2軸に分ければ、この2軸はどうしてもトレードオフの関係にならざるを得ないところがあるように思います。
 つまり、RFCでいえば、アウトプットであるところの演奏(楽曲)の質というところにこだわり過ぎれば、部員の中でいわゆる「歌や演奏が上手な人」ばかりが重用され、活躍することになってしまうでしょうし、反対に構成員の共生や親睦にばかりこだわり過ぎれば、演奏の質は多少犠牲にならざるを得ないでしょう。
 この点、僕が所属したRFCというサークルが素晴らしかったのは、この相反する2つの軸―演奏集団としてのRFCと、共同体としてのRFC―を見事にバランスさせていたというところです。
 演奏志向の強い部員も、親睦志向の強い部員も、それぞれがそれぞれに認められ、それぞれに居場所を見つけ、それぞれに心地よい・・・。
 この点、ちょっと経済に寄り過ぎのある感のあるEU指導者のみなさまにはぜひご参考にしていただきたく、遠く宮崎の地から、お願いを申し上げる次第なのでありました。