5月17日(月) ニューヨーク日記8(5月6日)

 この日は、午前中に引越し業者が、荷物の搬出に来る予定になっていた。荷物が研究室と自宅の2か所に分かれていたので、夫が研究室担当、私が自宅担当となり、待機することにした。

 当日の朝、引越し業者に確認した際には、研究室の荷物を先にピックしてから、自宅に来る予定だったので、夫も追っかけ帰ってくるものと、軽く考えていたら、順序が逆になり、自宅に先に来てしまった。

 日本では、当日の朝確認したルートが変更になるなんて考えられないが、ここはアメリカ、あくまでもアバウトである。

 夫の足となりマンハッタンを駆け抜け、最後には、ファイブ・ボロ・バイク・ツアーを完走した、思い出の詰まった自転車と、アパートで、夫の苦楽を見つめてくれた絵は、プライスレスなので、丁寧に扱って!と、しつこく、5回ぐらい言った。

 相手はアメリカ人、まだ言い足りなかったかもしれない。荷物は一昨日届いたが、結局、1枚の絵の額のガラスが一部破損していた。

 引越し業者の到着とほぼ同時に、不動産業者が賃貸希望者を内覧に連れて来た。10分待ってと、廊下で待たせて、引越し業者に指示を与えてから、中に入れた。

 この不動産業者の男性は、日本人と言っていたが、日本語は一切解らないという。私の考えが古いのかもしれないが、日本人が日本語を話せないという現実に、理屈抜きの違和感を覚えた。

 ロフトにはダブルベッド用のスプリングがあるとか、窓からエンパイア・ステートビルが見えるとか、部屋を売り込んであげた。

 その女性は、「気に入ったわ!」と、営業マンに言っていたが、果たして賃貸契約を結んだだろうか?

 自宅の方の搬出は終わったので、夫が研究室の荷物の搬出を終え、今朝、大学に行く前に、大家さんの事務所に寄って、受け取ったチェックを、換金して帰って来るまでの間、貯まりに貯まったコインを使いきるための、お買いものゲームに繰り出した。

 25セント、10セント(ダイム)、5セントコインを、お店の人が嫌がらない程度に、数件のお店を渡り歩いて使い切った。

 コインは、ワイン、ビール、化粧品、ヨーグルト他に変身した。1セントコインは、あまりにも量が多かったのと、多い割には、大した金額にならないので、寄付することにした。

 その昔、“目方でドーン”?というTV番組があったように記憶しているが、そんな感覚で、買い物を楽しんだ。

 夫が帰って来たので、午後2時、地下鉄F線で57St.に出て、カーネギー・ホールを見学した後、タイム・ワーナービルの地階に入っている、ホール・フーズ・マーケットで買い物をして、その後、5番街のアップル・ストアで、iPadを体験した。

 あまりにも楽しく、2台目のパソコンとして、iPadが欲しくなった。

 その後、同じく5番街ティファニーで、留守中、洗濯やら掃除やらを頑張ってくれている娘に、今回は、リターン・トゥ・ティファニーのペンダントを購入した。

 私は、冷やかしのつもりで、シグネチャーのペンダントを着けてみたら、とても似合ってしまった。さすがの私も、ニューヨークに4回も来た上、買ってとはおねだり出来なかったが、戻ってこないと思っていた“敷金”が戻ってきたので、買っていいと言ってくれたので、甘えることにした。

 めんちゃんこ亭のチャンポンで、遅めのお昼を済ませ、行きと同じく、57St,から地下鉄F線に乗って、自宅に戻った。

 自宅に着いたのが、午後6時だったので、シャワーを浴びて、今度は地下鉄1線に乗って50St.
に行き、ガーシュイン劇場で、ミュージカル「ウィキッド」を観た。

 3月に同じミュージカルを観た夫が、良かったというので、直前になって観ることにしたのに、運よく、前から7列目のセンターの2席が確保できた。

 劇場のブースにチケットを買いに行った夫が、日にちが第二希望の日だったので迷っていたら、チケット売場の人に、この席が空いているなんて奇跡なのに、何を考えることがあるのか、とたしなめられたそうだ。

 終演後は、スタンディング・オベーション。私も迷わず立ち上がった。舞台装置、歌、ダンス、ストーリーのどれをとっても申し分なく、絶対にもう一度観に来るぞ!と心に決めた。(「オペラ座の怪人」も!)

 11時前に終演して、歩いてタイムズ・スクエアに向かう。一番ニューヨークらしい場所だ。夜中とは思えない賑わいぶりに、時間の感覚が麻痺しそうであった。

 42St.から地下鉄1線に乗り、自宅への帰り道、デリで、マカロニサラダ、ハム、エッグベジタブルフライを買って、冷蔵庫に冷えているワインと、ビールで乾杯した。

 引越しの荷物出しが無事終わり、ホッとした反面、掛けてあった絵も外れ、ガランとなったアパートの部屋は無機質で、寂しく、とても一人ではいられないなと思った。

 この一年、夫に何もしてあげられなかったが、最後は来て良かったと思った。

 残るは、実質あと一日である。