松本人志の生い立ち③−貧乏。

松本人志にとって、貧乏とはなんなのか』について、ここでは明らかにしていきたい。

貧乏と笑い。

 松本人志はラジオで、「自分の子供が生まれたら」という話から二世芸人に話題が及んだ際に、幸せな家庭環境ではすごい発想の人間は生まれてこない、と語っている。

松「うーん、幸せな?あったかい家庭では、無理だね」
高「やっぱり、そこがあるかぁ」
松「あるね」
高「大きいなぁ」
松「屈折してるし、そら貧乏やったり、『貧乏』っていう意味での屈折やったり、そのなんか、ちょっと家庭環境がややこしかったりの屈折とか、まあ色んな屈折がありますが、なんか、やっぱりこう、平凡なあったかい家庭からは中々、そらある程度の人間はできてくるかもしれへんけども、そのー、」
高「なるほど」
松「すごい発想みたいな奴は、絶対生まれてけえへんからね」(119)

 これは松本人志自身が、自分の笑い・発想は『貧乏』ゆえの屈折からきている部分があると考えているためだろう。



 高須も、千原ジュニア松本人志の笑いを比較し、松本の背景に貧乏があることを指摘している。

高「ジュニアの切り口は、ちょっとやっぱ、おしゃれやねん」
松「うんうんうん」
高「松本人志の切り口は、やっぱり貧乏やねん」
松「うん」
高「だから、背景がちょっと微妙に違うねん。後ろの書割が。その、なんか面白いもんを作る時のバックボーンが違うから、」
松「うん」
高「ジュニアが作っていくのは、やっぱし、どっかナイーブなおしゃれな、バンド好きっぽい青年みたいなとこが入ってんねん。タイトルにしてもそうやし、設定が。松本のはやっぱり、貧乏…」
松「ジュニアはだって、貧乏じゃないもん」
高「そうやろ?松本人志は、貧乏が入ってくんねんな」
松「貧乏が入ってくんねん」
高「やっぱそこに、絶対入ってくる」
松「それが、いいのか悪いのか分かれへんねんけどね」
高「分かれへんけど」
松「うん」
高「で、貧乏の方が、まあなんとなく笑いは、ベタに作りやすいねん。設定としては」
松「うん」
高「オーソドックスな設定作れるやんか」
松「でもさぁ、貧乏はね、やっぱこう、哀愁を運んでくるでしょ?」
高「うん。それもあるね」
松「これがねぇ、やっぱりちょっと、俺は必要やと思うねんな」
高「あと、それといいのは、バブルの時に、」
松「うん」
高「その『貧乏』という本音を持ってきたから、時代的にもすごく良かったと思うねん」
松「うん」
高「見栄張って見栄張ってするところに…。で、松本人志の貧乏も見栄張るところがちょっとあるやんか」
松「うん。うん」
高「見栄張ろうとするところに、破綻をきたして、笑われるみたいなところがあるから」
松「だってもう、そういうところが、一番おもろいかとこやねん」
高「おもろいねん。みんな、見栄張るからおもろいわけやんか」
松「ええかっこしようと思うところが、もうおもろいねん」
高「そやねん。俺だからね、スターとかが、錦野さんがおもろいのは、「かっこええ」って言われたやろ?」
松「うん」
高「だから、人前でかっこよくあり続けなあかんから、体を無理してんねん」
松「うん。そこが、」
高「そこで、」
松「その差額分だけ面白いやろ?」
高「差額分だけ、失敗おこすねん。やっぱり」
松「うん」
高「で、それを取り繕うと思うから、」
松「そうやな」
高「おもろなんねんな」
松「そうやねんな」(166)

 ここでは貧乏ゆえに見栄を張ろうとすることについて述べられている。ラジオでは松本の貧乏エピソードはよく語られるが、この貧乏の話は、『貧乏ゆえに見栄を張ろう』とするエピソードにつながっていく。

貧乏な時代

 松本は、冗談混じりに「5,60万」(137)で育て上げられたと語っている。その真否はわからないが、松本はラジオ内で小学校時代の貧乏話をよくおこなっている。

…「どうしても手に入れたいものを、諦めるしかなかったことはありますか?」という質問ハガキから…

高「俺、ようさんあったけどなー、昔」
松「子供の時なんかもう、そんなんいっぱいあったよ」
高「なあ」
松「もう、あきらめワルツやんか」
高「ははは。そんなんあったなぁ」
松「あきらめ、あきらめ」
高「いやー、俺ももうものすごい、あきらめ」
松「っていうかもう、口に出すことすら、もう罪や、みたいな」
高「ご法度とされてたからな」
松「ははは。されてた、されてた」
高「当時はな」
松「いやいや、ほんとそうですよ」(193)

松「結局おかんの金をとったら、すぐに俺の方にまわってくるわけやから。直結するわけやから」
高「あ、トン!トン!、かいな。もう」
松「ははは(笑)」
高「ははは。おかんと、トン!トン!」
松「トトト、トンじゃないで。トン!トン!やで、もう。すぐに、もう背後に、」
高「うーわ」
松「背後にそこには、もー、『貧』。『貧』言うのがもう」(143)

 「もう家が貧乏なの分かってたから、めったにおねだりなんかせえへん人志やねん」(42)というように、子供のころの松本はすでに自身の家の貧乏をきちんと自覚し、我慢をしていたようだ。

貧乏ゆえの見栄。

 松本の語る貧乏だったというこれらの話は、貧乏をごまかそうとする見栄の話へとつながっていく。

高「貧乏って一番人に恥ずかしい部分やんか」
松「うん」
高「あの、見られたないというか」
松「あの、少なくとも特に子供のころはね」
高「うん。家が汚いとか、弁当があかんとか、
松「品目が少ない」
高「品目が少ないとか、なんやもう、ちょっと、センスがない的なことがあったりとか、服もなんか汚いみたいなのが、」
松「うんうん」
高「やっぱりね、子供って、敏感に感じとってるのよね」
松「うんうんうん」
高「学校ってひとつのクラスにどーんて入れられるから、どうみたってだんだんわかってくるねん。「うちの服、あれ?」」(119)

松「弁当って嫌やなー」
高「嫌やった。あれほら、家柄から、なんちゅうの?家族構成。なんか色んなもの見えるやろ?」
松「オカンのデリカシー」
高「デリカシー(笑)。そうそう」
松「うちのオカンもデリカシー無かった…。そういう意味ではねえ、うちのオカンも、俺はもう嫌やったなー」

松「ご飯にね、」
高「あ!あかん」
松「鮭をね、」
高「あかんあかんあかんあかん」
松「グイー!やんねん」
高「はははは(笑)」
松「それが嫌やねん。デリカシー無いねん」(34)

松「俺はもう大変やったのよ、だから。うちのおかんが緑のおばさん行ってからは、それはもう、もう色々、靴下…」
高「弁当は直さなあかん、」
松「弁当は直さなあかんわ、(笑)」
高「靴下は縫わなあかんわ。これは、これはねー、松ちゃん。あーそれは、俺はね、あー」、
松「よう覚えてたな。俺の弁当直す話(笑)」
高「いや、よう覚えてるどころか、そんなもん分かってるよ、そんなもん。俺、もー「あ、それは哀しいな」、んで俺も同じような経験はあるから。ただ、俺直すまではいけへんかったけども」
松「あったなぁー」
高「あったなぁ」
松「あった」
高「そういう思いしてなぁ」
松「うん。そうやで」
高「見栄え見栄えやったな。あの頃」
松「見栄え見栄えやったでー。ほんまに。
高「「貧乏に見られたらいかん、いかん。」言うとったなぁ」
松「色々もう俺、大変やった。子供の時。ほんま大変やった」
高「大変やった(笑)」
松「パンツ、靴下、弁当。犬は逃げるわ、もー、ほんま…」
高「ははは(笑)」
松「(笑)」(143)

 これらの見栄えの話は、貧乏に起因してそれをごまかそうとする話である。しかしそれだけでなく、オカンのデリカシーやセンスの不足などからくる、必ずしも貧乏の関係ないことも「子供時代の嫌だったこと」として、貧乏と一緒にして語っている。
 

松本人志にとって、貧乏とはなんなのか。

 松本は「乗り物酔いする子はクリエイティブな仕事に向いている」という持論を語ったことがある(42)。その理由は「酔うのは、想像力があるから」というものだった。しかしここでは、松本人志は自身の屈折・挫折の経験が、自身の笑いを育んだ土壌となっている、と考えている点に注目してみたい。乗り物酔いの酷かった自身が、クリエイティブな仕事に向いていたから、「乗り物酔いする子はクリエイティブな仕事に向いている」と考えたのではないだろうか。 
 すなわち松本は、貧乏に限らず、挫折・屈折の経験が笑いやクリエイティブな仕事には必要だと考えている。そして彼にとって、もっとも挫折・屈折の経験を与えたのは、貧乏だった。
 つまり、松本人志が自身の笑いの土壌と考え、小学校時代に戻りたくない理由としても挙げている『貧乏』とは、『松本人志に、もっとも多くの挫折・屈折をあたえたもの』だったといえるだろう。