ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ようやく完了

 このブログで先日の三週間の空白をようやく埋め戻す。どんどん記憶が薄れていくので書き足し、書き足し増やしていき、最後に写真を載っける。しかし、全部で1,200枚も写真を撮って帰ってきたのだから、ここに使われていない写真で自分では面白いと思っているものが何枚もある。どこかでどっと並べたい。どこで並べようかと思案中である。4-travelも良いのだけれど思った通りになるだろうか。

5年しか持たなかった

 ある日、机の前に座ったまま椅子を引き寄せるとキャスターががたがたした。おかしいなぁと覗くと何か黒いものが散らばっている。何だろうと見ると、何と椅子のキャスターが割れているのだ。この椅子は5年前に格安量販店で、買ったものだ。安物買いの銭失いという指摘はいつでも私にはぴったりで、今回もそのままの表現があてはまるものでもある。そういえば今回の旅の途中で鞄に付いている4つのキャスターのうち、前に付いている小さい方のキャスターがボロボロになった。これまた安物買いの・・という教訓があてはまる。何か考えないと。
 御徒町の量販店にオフィス・チェアを売っているスペースがあったことを思い出して、床屋に行くついでに見に行った。月曜日ならさしもの混雑で有名なお店も大丈夫だろうと見当をつけていって見ると案の定、フロアーには店員が一人電話にとりついているだけで、他には誰もいない。彼が電話を終わって「どんなものをお探しですか」と聞いてくれたので、あまり期待せずに云ってみた。あそこに大きな椅子は入らないし、リクライニングなんかしなくても良いからパソコンのキーにとりつく、あるいは本を読むという姿勢をサポートしてくれるものが欲しいと云った。今流行のメッシュの椅子に座ってみるとやっぱりホールディング感がとても気持ちがよい。座面が深くなくて背中を押してくれるもので、肘かけも頭を保持してくれるものも要らないとリクエスト。小売希望価格から3割引で入手。これでまた部屋から出なくなるかも知れないという恐怖はあるけれど。
 パソコン再生作戦をどの様に立てるべきかを考え出来るだけ金のかからない方法を模索しに銀座に出てビックカメラからアップルストアを歩く。現有するMacBookと古いタイプのMacMiniにそれぞれ役割を振り分けるという考え方を思いつく。実現するかどうかはなかなか微妙だ。アップルストアにはfirewireのhubなるものが6000円台で存在するが、ビックカメラには全くない。
全然話が違うがWindowsのラップトップの売り場を通りかかると、友達が云う様にメールを取るくらいの小さなものがいくらも出ている。安いものでは4万円くらいのものが存在する。こんなものをアップルが出したら売れるんだろうになぁ。ジョブスはそんなところ理解できっこないだろうけれど。1kgにもならない軽い機械だ。こういうものを見るとwindowsは良いなぁと思ってしまう。
 さすがに街には警官の姿が溢れている。角を曲がった時に3人組の警官と出くわすとやっぱりどきっとする。通り過ぎてから、あぁ、後ろ姿でも良いから写真を撮れば良かったと思う。
 Amazonのメルマガに保阪正康の「若い人に語る戦争と日本人 」(ちくまプリマー新書)が7月7日発売とあったから本屋に入ってお伺いしたら「明日の発売になっています」というお返事だった。他に寄る元気がなくてそのまま帰る。

エネルギー

 朝、顔を洗いながら考えた。こんな具合にお湯が出てくる様になったのは一体いつ頃からだったろうか。私が小学校の低学年の頃、横浜の三渓園の先は海だった。そこまで臨海学校と称して夏休みに市電に乗って毎日通った。私を泳げる様にしてくれた海だ。そこを人工的に埋め立てて陸地にしてしまい、今は石油タンクの基地になっている。あの頃は都会の臨海部はどんどん埋め立てられて海は市民から取り上げられていった。なにしろ公共のためという理屈が成り立っていたんだけれど、実際には民間企業がそれで潤っていった。
 当時、あのあたりに占領軍の居住地域があって、まるで工場の様な大きなボイラー基地があった。何のための建物か知るよしもなかったのだけれど、あそこでお湯を沸かして占領軍の住宅地域にパイプで配っているのだと聞いて腰をぬかさんばかりに驚いた。ということはあの白いペンキで塗られた家の中にはいつでもお湯が出るということだからだ。
 しかし、今や私たちの生活はもうほとんどあの家々と同じようだ。今ではいつでも思い立ったら、そうしたかったら風呂にも入れるし、シャワーを浴びることも出来るし、冬でも大丈夫だ。かつては風呂をたてたら冷めないうちに家族全員が次々に入った。今は各自が好きな時間に入っている。つまりそれだけエネルギー消費が自ずから増えていると云うことだ。こうした生活を経験したことがないというのに、今までさんざんそんな具合にエネルギーを遣い倒してきた奴らに「君たちはこんなことをしちゃいけないよ、僕たちはやってきちゃったけれど」と云われても納得できないだろうなぁ。とはいえ、そのままで行くなら、潰れてしまうのは仕方がないということにするしかないんだろうなぁ。

CD

Satisfied

Satisfied

Welcome Back

Welcome Back

Tarzana Kid

Tarzana Kid

 先日入手したbluegrassのフラット・マンドリン奏者のDavid GrismanをAmazonで検索していたら♪Welcome Backが懐かしいJohn Sebastianとの共演アルバムがあることが分かった。懐かしい声をAmazon上で聴いた。きっとあの頃のアルバムもCD化されているに違いないと思ったら、案の定昨年CD化されていた。あの頃僕たちはこうしたアルバムをどこで入手していたんだろう。FM-fanの様な本を見てはエア・チェックしていたカセットテープたちを聴いてみたくてもカセットデッキが壊れていては手も足も出ない。