ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

靖国合祀訴訟

 大阪地裁で判決があったそうで、村岡寛裁判長は「合祀行為は、他者に強制や不利益を与えるものではなく、原告らの法的利益が侵害されたとは認められない」という判決を下したんだそうだ。これって、良くわからないんだけれど、訴えているひとは勝手にみんなと一緒にされちゃっても困るんで、外してくれない?といっているのに「それは困るこっちゃないんだなぁ、法律的にいって」といっていることなの?やだっていっていても「いやいや困らないんだよ、それは」っていわれても困るものは困るのであって、感情的な問題を法律的には困らないんだよっていったってさぁ・・・。てなもんである。
 「家族を敬愛追慕する情に基づく人格権が侵害された」とする原告側主張について、「合祀への不快感や嫌悪感と評価するしかない」と指摘していると新聞がいっているのを見ると、「いやぁ、嫌なんでしょうね」とわかってはいるんだよね。
 合祀について「遺族らの同意を得るのが社会的儀礼として望ましいとしても、遺族が独占的に他者の慰霊行為を排除できる権利はない」とした、というのもまた私のような人間には全然理解が達しないのだ。遺族には独占的な権利はない、というのは勝手に慰霊する人が現れても「やめて!」とはいえないというんで、ここの所は何となくわからんではない。例えば、遺族の知らないところで、仏のことを生前随分慕っていた(異性か同性かはこの際関係ないんだけれど・・)ひとがどこかにものすごく立派な慰霊碑なんてものを建てちゃって月命日には盛大な供養をしていたりすると、それを「やめろ!」とはいえないってね。そんな奴いないか、普通。外してくれっていっている人がいるんだから外せばいいジャンねぇ。あいつと一緒なんて嫌だよ、といっている人がいるんだったらそれは理解できるんだけれどなぁ。(判決内容引用は2009年2月26日 読売新聞)

出かける

 夜になって雨にといっていたような気がするけれど、ずっとシャラシャラ降っているのかいないのか、区別のつかないようなはっきりしない天気だ。二週間に一回の木曜日のレクチャーに出かける。中三日の間、家で風邪の療養に専心していたので、久しぶりの外出である。多少咳は残るし、鼻水が止まらないけれど、欠席しなくて済んで面白かった。保阪は雑談といいながら、どうも生まれ年によって優秀な年代というのが存在することは経験則として否定のしようがないというのだ。例えば昭和15年生まれがそれになるというのだけれど、この年代は小学校に入学した最初の年代だというのだ。保阪はその前年の14年だというのだけれど、まだ国民学校に入った口だ。どのような教育を受けたのかというのは相当に大きな影響を及ぼすといわざるを得ないと保阪は強調する。
 公文書館から出てきた東京裁判についての資料についての朝日新聞の記事についての感想を聞くと、国立公文書館には東京裁判に関するこれまでに話題になっていない資料というのはいくらでも存在するので、今更「発見した」とするものではないはずだけれど、たまたま朝日新聞の記者がこれをこのタイミングで取り上げた、という理解をして良いんじゃないかというのである。
 だとしたら研究者の人たちはもっともっと明らかにしていって欲しい。私は国立公文書館にいって探しまくるのはもう面倒だなぁ。

 ランチをどうしようかとまた紀伊国屋地下の水山の前を通ったのだけれど、今うどんはわが家にも稲庭の乾麺があるので、何も拘る必要がないと、今日こそ銀座松坂屋の地下に向かう。乾山のカツ丼でもと思ったらなんと満席。え〜っと思って、肉のスギモトの方を見ると待っている客がゼロになった瞬間だった。速攻で空き待ち椅子に座る。5分も立たないうちに席が空き、生まれて初めてスギモトのカウンターに座る。「黒毛和牛すき鍋」を発註。さすがに少し時間が掛かる。やって来たのはまさにすき焼き。うまい。800円は安い。今度は525円の「すき重」にしよう。隣のおじさんがとても上手な食べ方をしているのを見たので、自信が湧く。

2007年8月からNHKBS-hiで放映を続けてきた「証言記録 兵士たちの戦争」が出版化される。全7巻が刊行の予定で一巻に放送7回分を掲載している。Amazonで表紙が表示されないのはなんでなんだろうか。今回は二巻一度に刊行されている。2008年8月15日の毎日新聞はその時点で兵士経験者は少なくとも40万人は生存しているのではないかと推定しているのだそうだ。

日本国憲法誕生―知られざる舞台裏

日本国憲法誕生―知られざる舞台裏

 これまた2007年度文化庁芸術最優秀賞NHKスペシャル日本国憲法誕生」の出版化。

日系ブラジル人 大泉町

 東京新聞の記事によると人口の17%が外国人である大泉町が町内に暮らす外国人477人からアンケート。8割以上が5年以上日本に暮らしており、仕事を探すためにもすぐにでも日本語を学びたいとしているのが74.2%にのぼり、39.2%が現在仕事がないという。
 大泉町富士重工三洋電機をはじめ、製造業のラインが多く、日本の中のブラジルとまでいわれる地域。

安住する

 産経ニュースが伝える日米首脳会談のニュースで麻生首相が「日本は東京23区に約1000万人が住むが、その鉄道依存率は76%だ。高速鉄道網は米国の自動車文化を変える」と自説を展開したところ、大統領が強い興味を示した」と伝えている(産経ニュース2009.2.25 18:26)。
 人口の集中度という点で東京はまれに見る都市だからそりゃ比較の対象にはなりにくいんだよ、と必ずアメリカ人はこの考えを否定するだろう。中産階級以上の米国人は俺が好きなときに好きなところに行くのが自由というものだと思っているかの如くだ。それを実現できるのが人間としての成長なんだと思ってきたかの如くだ。
 その反動として1960年代から70年代にかけてのヒッピー・ムーブメントなんてのがあったのだろうし、ジョン・ミューアが取り上げられたり、Henry David Thoreauが見直されたりしてきたんだと思う。その延長線上にJon Krakauerが描いたクリストファー・J・マッカンドレスの考え方が注目を浴びたりする現象があると考えても良いのではないだろうか。
 だけれども、彼らはいうんだろう。「私たちにとって車は開拓時代の馬であり、われわれ米国人の出発点はフロンティアなんだよ」と。もうそんなものはとっくの昔に終焉を迎えているのにもかかわらず、まだ彼らには理解できない。まだ、やっていけると思っている。
 確かに東京という街はどんな方式を使って算出したってダントツの世界一の人口密度を誇っている。いや、誇ってなんていたくないけれど、しょうがない、そんなことになっている。私たちは箱庭の如くにこの狭い23区を掘りに掘りまくっている。緻密につなぎ合わせている。まるでレゴ・シティーを作っているみたいだ。こういう街は土建屋にとっては夢みたいじゃないだろうか。何をやっても良いんだ。で、ひと揺れ来てぶち壊れたら、またそこに何かを築き上げるチャンスが来るというわけだから。
 これだけ公共交通機関が張り巡らされていたら、もう車なんているわけがない。置いておくところを探す方が大変だもの。その証拠に最近都心の集合住宅では駐車場が埋まらない。近隣に借り手を求める管理組合まであるくらいだ。こうなると高齢者にとっても暮らしやすい地域になる。だから、どんどん都心部の人口の高齢化は進むだろう。
 逆にその分、地方に暮らす高齢者にとってはどんどん孤立化する時代がやってくるということではないのだろうか。
 麻生もたまには考えるきっかけを作ってくれるんだなぁと感じ入った次第。