ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 連れあいとたまには外で昼飯を喰おうかという話になった。外はずっと雨が降り続いているから、多分そんなに混んじゃいないだろうとは思ったけれど、13時を過ぎるまで我慢した。田原町の駅の傍にある中華料理の香港楼のランチってどうなんだろうかと行ってみた。キクラゲの炒め物でご飯が食べたかった。じゃ、もうひとつは海老のピリ辛にしようと。安くはないけれど、両方とも千円はしないという値段だったけれど、海老はぷりぷりで、もういうことのない状態で、キクラゲも歯ごたえ良くて、大変に美味しかった。
 ここまで来たのだからと蔵前のノートと筆記用具を中心にした店、「カキモリ」(こちら)にむかう。途中の家具屋と古物屋が入っているタイガービルは国の登録有形文化財に指定されたのだそうで、入り口にその旨が掲示してある。前は違っていたのかね。1934年竣工らしいね。
 カキモリにやってくると今日はやけに人が入っていて、それも若い人たちばかりで、中にはプロ仕様のカメラを抱えた人がいて、概ね全部で6-7人も入っている。ここもいよいよ有名になってきて、凄いことになっているなぁ。ここの筆記用具は伊東屋の中二階と違って、とんでもない金額のものよりも、手頃感のある1万円位以下、という雰囲気なので、ちょっと期待してきたのだ。書き心地をここのノートの用紙それぞれで試すことができるので、これは良いぞと熱中していたら、そのうちにカメラを持った人が角にいるなんだかど派手な格好をしている関西弁訛りの男にカメラを向けて、バチャバチャとフラッシュをたく。一体なんだよと、その方向を見たら、その派手な男は多分堂本なんたらの丸顔の方だ。
 店員さんに聴きたくても、彼等がここの手作りノートを注文していたようでこれが完成しないとご一行さんは滞留ということになる。
 ややしばらく経ってご一行様が出立されてから手の空いたお店の方とご相談。ペン先がMでちゃんとバランスがあって、書き味が良くて、安い。そんな虫の良い話はそんなにあるわけではなくて、ようやく達した結論は米国製のMONTEVERDEというメーカーのARTISTA kitなるスケルトンの万年筆である(こちら)。またスケルトンかよという突っ込みが成り立ちそうだけれど、これならと思えるものだった。
 用事があって蔵前から東銀座まで都営地下鉄浅草線に乗った。東銀座で降りて松坂屋に行くのに地下道を歩こうと思った。例の銀座四丁目から晴海通りの下にある地下通路だ。昔は途中に盲腸のような地下街があって店が入っていたっけなぁと40数年前のことを思い出しながら、私はなんでこの地下道を良く歩いたりしたんだろうと考えながら歩く。
 松坂屋の地下のアウトドア・ショップでも二丁目のトラヤでも、気に入った夏帽子が見つからない。そもそも二丁目のトラヤでは相手にもして貰えない。地元に帰ってきて駅前を歩いていると安物ショップのワゴンに帽子があって、良く見たら自分が捜していたタイプそのものから品のよいリボンをマイナスしたような帽子じゃないか。いくらかと聞いたら1,500円だというので、飛びつくように買って被って帰る。リボンがどうしようもなくて、フォルムがちょっとおかしい部分があるけれど、この値段には勝てない。ワンシーズンで必ずや汗まみれになってぐちゃぐちゃになってしまうのだから、それで万々歳だ。灯台もと暗しなんである。今日の散歩:8,400歩。

目的なんてない

 昨日の夜のBSのどこかのテレビでスペインのアンダルシア地方を取り上げた街中番組をやっていた。そこに通りかかった青年が妙に細長いものを背中にしょっている。「それはなんだ」と聞くと取り出して見せたのはなんとディジュリドゥだ。なんでまた豪州の先住民、アオボリジニの楽器をスペイン人の彼が抱えて歩いているのか。そしてそれを希望に添って取り出して見せ、鳴らして見せた。
 こんな具合にあっちでもこっちでも気に入ったところがあったら暮らしては旅に出ているんだというのだ。昔でいったら吟遊詩人なのか。多分彼は豪州にいったことがあって、あの音に見せられたのだろう。それにしても一体なんのために彼はこんな生活をしているのだろうか。
 多分、目的なんてないのである。自分の好きな姿だけを描いているだけなのだろう。それが後年なんらかのものとなって人様の興味を引くのかも知れないし、なんにもならなくて誰の興味も引かないかも知れない。それでも彼は別段なんということもいわないかも知れないし、思わないかも知れない。いや、そうだろうと思うからしているのかも知れない。
 私にそれができただろうかと問えば、やっぱりそれはできなかった。何か、世の中に存在している人たちと較べるところから欲望を溢れさせるという生活をひねり出してくるという人生を送っていたからだろう。人と比較するということはきっとそういうことをやらない。人のことを一切考えない、自分の存在だけが展開していったらそうなるのではないかと思ったりするけれど、実際にそうなったことがないからわからない。
 こうした相対的な人生を歩まない人たちが(ひとりひとりは個別なんだから十把一絡げに論じるのは大間違いだけれど)ある日、誰かの興味を引くことがあるんだろうけれど、それは興味を持つ人が自分がしたくてもできなかったからなのか、自分が送ってきた抑制した生活をその時はいやだったけれど、今になって他人との比較をすることによって、抑制義務をないことにしてきた自分を優位に思いながらも、隣の芝生を覗きたがる結果だからなのかわからないけれど、まぁあるんだろう。
 それでも人は誰かとの関係性を持たないと生きていけないらしい。う〜む、わからん。

フジTV・とくダネ May/10/2011

 福島県放射線健康リスク管理アドバイザー・山下俊一長崎県大学教授は福島での講演で「政府が20mシーベルト/年と決めた以上、国民は国に従わなくてはならない」と語りながら、テレビカメラの前では、「安全が保証されるわけではない、あなたならどこに避難しますか?」と語って誤魔化している。どうもこの番組を実際に見ていた人の話だと、「避難させるといったって、どうやって、どこに避難させることができるというのか、あなただったらどうするというのですか!?」というニュアンスだったのだそうだ。彼がとんでもない輩だと指弾する声はそこら中に充ち満ちている。
 これがフジテレビの番組だという点が興味深い。
 民主党政権打倒のためのプロバガンダになっているということだ。さすがに監査役に元東京電力社長(南直哉)を迎えているフジテレビだけある。作戦がとてもこみ入っていて上手い。

2011年05月10日のツイート