ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

東京文化会館大ホール

 今年で上野の山の東京文化会館は早くも50周年を迎えたのだそうだ。それだのに中に入ったことがなかった。母校の交響楽団クワイア、グリーがその卒業生も加えて年に一度開くヘンデルの「メサイア」演奏会がその大ホールで開かれるというので、死ぬまでに一度は大ホールに入ってみようというので、この「メサイア」に行った。
 5階席まであるうちの3階席の下手側の席だった。ハレルヤコーラスが来ると唄いたい人(これが観客の85%くらいに相当する)が立ち上がって、それぞれがやったことのあるパートを思い切って唄う。するとこの第2楽章が終わったら帰っちゃう人が出ちゃうという、実に行儀の悪いコンサートである。
 実は昨日の夜の寝方を間違えてしまったので、眠くてしょうがなかったのだけれど、隣のまだうら若き女性卒業生がとても落ち着かないので、イライラして眠らなくて済んだ。

 しかし、最近のコンサートでは最後の音が止むやいなや声を掛ける聴衆がどうしているんだろうか。ジャズじゃないんだから、余韻を楽しませて貰いたいと思っている人はたくさんいるんじゃないだろうか。歌舞伎じゃないんだから、大向こうのかけ声じゃあるまいし。はなはだ不愉快である。
 ブラボーというのは構わないけれど、間髪入れずに叫ぶ自分に酔っているようなのはごめん被りたい。
 トランペットの学生君、ちょっとしくじっちゃったけれど、これでこのあと落ち込まないで貰いたい。なにしろ君たちは音楽系の大学の学生じゃないのに、ここまで来たんだからそれだけで普通に誇って良いよ。但し隣にいた小娘どものように、落ち着きのないのはごめんだ。
 かつて始終通信簿に「私語が多い、落ち着きがない」と書かれた私に云われたくないだろうな。

宮城地図

東京人 2012年 01月号 [雑誌]

東京人 2012年 01月号 [雑誌]

 特集が「太平洋戦争開戦70周年 軍都東京の昭和」だった。巻頭の対談が半藤一利戸高一成なので切り口がどうなっているのか判らなかったけれど、取り敢えず入手。
 すると60頁に「トレイシー」の著者である中田整一が“「トレイシー」で作られた宮城地図”なる文を書いている。「トレイシー」というのはカリフォルニアにあった日本兵捕虜秘密尋問所の名前。皇居内の建物すべてに番号を振ってなんの建物か図示したものが作られていただけではなく、約2500名に上る日本兵捕虜が克明なる情報を提供していたことが判る。
トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所

トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所

これを与太というか

 今食品を片っ端から放射能測定したらきっと大変なことになるのかも知れない。もしそうだとしたら、隠そうが隠すまいが、いずれにしてもわが国は一気に崩壊の道を辿ることになる。いや、その前に経済の不活性によってあっという間にズルズルと後退をして、あっというまに経済大国という尊大な呼ばれ方(自分で呼んでいたわけだろうけれど)をしたことが全くウソのような国家へと変貌してしまっているかも知れない。
 そうなると急激にはやってこない。ジワジワとあっちでポツ、こっちでポツッと現れ始める放射能汚染による影響ではないかと思われる障害の発生は、すでに顕わとなってボロボロになってしまった不況の状況下で目立たなくなっているのではないか、というのが霞ヶ関、東電、民主党内閣の計算なんじゃないだろうか。

圧力

 3.11からそろそろ9ヶ月が経とうとしている。日々家の中で圧力がかかってきている。何がかというと、書籍をいい加減に片付けろということなんである。
 本だな10本とその上に積み上げてあった書籍はすべてあの揺れの中ぐちゃぐちゃになり、本だな2本が崩壊。あれから怖くて本棚の上にものを載せられなくなった。すべての問題はここにある。今でも本棚の上に積み上げてしまえば難なく、ダイニングの片隅に積み上げられているものも、外で暮らしている息子の元の部屋に突っ込んで扉を閉じてみない振りをしているものも綺麗さっぱり片付けられる(ンじゃないかと推察している)のである。
 この際、自分ひとりだけ書籍とともに何処かへ引っ越したい気持ちにも駆られるが、これは断念。なぜかっていうと先立つものがないからだ。
 するとどうするのかというと、多分、きっとしょうがないといって本棚の上に積み上げてしまう。で、次の大揺れが来た時は、そこに埋もれてしまって、出られなくてあえなく絶命。つまり、「本を片付けろ」というプレッシャーで私はこの世から他界するということになるしかないということである。
 それでも片付けろというのか?という持っていき方であと2ヶ月くらいどうにかならないかな。