ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

人違い

 新宿西口の駅前コンコースを歩いていると、向こうから来た、歳の頃なら50歳前後の男性が、私の顔を見るなり、「いやぁ、ご無沙汰をいたしております!佐藤です。その節はお世話になりました!」と気を付けをするようにして深々とお辞儀をするのである。全く、見覚えがない。ものの見事に何も覚えていないというよりは、全く面識がない。しかし、これだけはっきりと確信に充ち満ちている態度を見せられると、あぁ、とうとう俺はこんな具合に過去を全く思い出せない状況になってしまったのかと愕然とする。
 「え・・・どちらの佐藤さんですか?」といいながら、私がこれまでにおつきあいいただいた「佐藤さん」を片っ端から思い出そうとするけれど、頭の中でその映像をぱらぱらめくりながらも該当するものがない。こうなると、いやいや、この人は俺を騙そうとして「知り合いの振り」をしているのではないかと思うものだ。
 以前に銀座の中央通りで、突然向こうから来た男が知った顔で寄ってきて「久しぶりだねぇ。競馬業界の知人からレースの読みを聞いているから必ず勝てるけれど、乗らない?」といういわゆる「コーチ屋」という類に声をかけられた経験がそんな推測をさせる。
 と、向こうがすぐさま「いや、人違いかもしれませんねぇ、大学病院で同じ部屋になった佐藤ですけれど」というのだ。すぐさま間違いだとわかった。何しろ私はどこだか知らないけれど、その大学病院という類に入院したことがない。それで今度は両方で深々とお辞儀をして分かれたのである。
 ドキッとした。
 それにしても「〜」大学病院ならわかるけれど、ただ、単に「大学病院」と表現するものだろうか。

45年前

 私がまだ20歳そこそこだった頃、サークルの先輩から年末にスキーのバスツアーを企画している友人たちがいて、バンドを連れて行きたいという話だけれど、君らいかないかとお誘いがあった。当時は人前で演奏ができるのであればどこへでもいきそうだったものだから、スキーなんて履いたこともないのに、その話に乗った。池ノ平というスキー場の山の中腹にあるロッジを借り切ってのスキーだった。どうして先輩たちが行かないで僕らに話が回ってきたのかと思ったら、その年の暮れは雪不足で、わかっている人は行ってもろくな事はないと判断していたらしい。そんなわけだから、生まれて初めて履いたスキーだから、当然ひっくり返るわけだけれど、雪まみれにならずに泥まみれになった。スキーというものは汚いものだと思った。
 その時の仲間はそれから毎年暮れと春先に2回のバスツアーを実行した。その仲間の中で結婚したのが何組かいて、未だにつきあっている。その中で米国西海岸在住の二人が帰ってきているので、埼玉の仲間の家に行って夜通し昔話や子どもの話に花を咲かせた。
 そういえば40数年前にもスキー場のロッジや旅館で、夜を徹してそんな話をしていたのだった。もう孫がいるのも何人もいてあの頃の年齢の3倍を超えてしまったけれど、仲間というのはその頃の雰囲気に戻ってしまうのだ。

2012年05月29日のツイート