ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

鈴本8月中席千秋楽

 白状すると、私はこれまで鈴本も池袋も、新宿末広も一度も入ったことがない。それぞれの前は何度も通ったことはあるし、池袋と鈴本は昔の建物だって知っている。けれど入ったことがない。高校生時代は横浜の相鉄寄席、浅草演芸ホール、松竹演芸場くらいしか入ったことがない。大人になってからはもっぱら国立演芸場であった。
 毎年のお盆の鈴本はさん喬と権太楼が交代でトリを勤めるということになっているのだそうで、二人の競演である。
 5時開場で前座もなしで、いきなり柳亭左龍が出てきた。曲独楽の三増紋之助が意図的にか、偶発か知らないけれど、駒を落として激しく悔しがるところで、一番前に座っていたおじさんが「頑張れ」とポチ袋を渡し、紋之助が手ぬぐいを返して「動揺する!」と発言。一気に客のテンションが大いに盛り上がり、今日の立役者の一人に数えるべきだろうなぁ。
 春風亭一朝桃月庵白酒と落語が続き、鹿児島出身の白酒が「つる」をやった。これがあとになってとんでもないことになるとはこのときは客席はつゆとも知らない。柳亭市馬がこんな浅い時間に出てきて「芋俵」をやる。真打ちになってもう5年が経った隅田川馬石は相変わらず綺麗な落語をやる。今日の「駒長」はこれまで私は一度も聞いたことがなかった。だから非常にわかりにくい。で、このときに気がついたのだけれど、私が座っていた「わ」列では私には良く聴き取れないときがあるのだ。聞いたことのある噺だとそこはそれ、大体想像して聞けてしまうから良いのだけれど、こういう生まれて初めて聴く噺は聞き取れないんじゃ始まらない。ま、もっとも私の後ろと横の一連の爺さん・婆さんのグループがくしゃくしゃ、ごそごそ、ぺちゃくちゃとうるさくてたまらない。
 仲入り前で早くも柳家喬太郎の出番が回って来ちゃった!奴の話に依ればめくっていた前座の女の子は「林家ななこ」ってんだそうだ。正蔵門下たい平の弟子だろうか、黒縁の眼鏡をかけて、客席が落ち着くまでめくりの横で座って客席を見ている様が、なんだか前座に睨まれているようで、なんだか、随分気の強い女に見えてしまう。この前座、襟元に名札を付けている。どこかの居酒屋の店員さんみたいだ。
 で、喬太郎の噺の中身が問題なのだ。普通寄席ではネタ帳ってのがあって、噺の演目をちゃんと書いてある。で、あとから上がる人は前に上がっているものを避け、似ているものを避けるのであるけれど、それを喬太郎は真っ向から挑戦するかの如く、白酒がやった「つる」を、設定はやくざの事務所で、やくざの親分が、多少物事を知らない、まぁ、今の若い人の中には、ひょっとすると何人もいるような若者に「つる」の謂われを教えるというシュールな物語にしちゃったのだ。場内爆笑の渦の中仲入り。
 女性のトイレの列がとんでもないことになっていて、女性スタッフが随時男性トイレにご案内申し上げる。つまりそれだけ、今日の鈴本には女性(まぁ有り体にいえばおばさんとお婆さん)が多いということである。それにしても、隣のおばさんも斜め前のおばさんもひとりで来ていて、噺家の若干楽屋落ち気味のくすぐりに反応するのを見ていると、世の中にはこんなに落語の好きなおばさんがいるんだと今更ながら驚きである。
 仲入り後はさん喬が例のように大変丁寧に「三井の大黒」をたっぷりで、さん喬節炸裂である。
 紙切りの正楽さんはなんと甲子園というお題で投げる姿、打つ姿(捕手、審判つき)、そして甲子園のあのスコアボードを切って見せたのには驚いた。その時の下座がコンバット・マーチを弾いてみせるのだ。凄いな、プロは。
 そしてオオトリは権太楼の「鰻の幇間」で、途中で地震があったのだけれど、どうしてどうして動じないというか、権太楼は喬太郎ほどではないけれど、動きまくっていて、ありゃ感じてないね。それにしても権太楼じゃなくっちゃあぁはできない。

電気ひげ剃り

 45年くらい前から毎朝のひげそりはブラウンの電気ひげ剃りを使ってきたということを随分前にここに書いてある。→ こちら
 で、その新しいひげそりが良く剃れなくてガッカリしたのはどうやらちゃんと充電をしないで使っていたからなのではないかということが判明した。というのはずっとコードを差しっぱなしにしておいたら、どうも動いている音の勢いが違うような気がするのだ。で、実際に沿ってみると前よりは上手く剃れるような気がする。それでも昔のような上位機種に比べると明らかに劣る。多少BRAUNの名誉のためにも訂正しておいた方が良いかも知れないと思ったのである。

ODAはもう無理だろう

 資源のない我が国がそうした資源を確保する手段として関係各国に経済的支援を与えていくことは非常に重要な戦略であるという説明は良く聞いてきたような気がする。それでなくても顕著に台頭してきた中国はその成長戦略の中でアフリカ等各国に対してもそうして経済的支援を続け、確保しようと一気に勢力を広げてきている。それに対抗して行かなくてはならないということになるのだろうか。それとも、もはや我が国はそんな路線を辿ることができる国力を備えていないのだから一気にシュリンクしてくる経済活動を前提に国家計画を立てて行かなくてはならないところに追い詰められているのだろうか。
 そうだとするとそれは非常に気分の重い作業であり、国民の中に活力が現れるはずもない。
 その打開策としてこれまで規制の産業を元に考えるのであれば、環境ビジネスや製造技術のライセンス供与、あるいはコンサルテーションといったソフト技術・ビジネスくらいなんだろうか。だとしたら多くの雇用をどっと生み出すことができるのかといったらそれは難しい。
 この辺を急いで考えを議論していかないともう間に合わなくなる。しかし、こうしたことを一体誰が議論してくれるんだろうか。政治家がやるかといったらほとんど期待ができない。何しろ彼らは自分が目立ち、なおかつ儲かることしか考えないのだから。本来的には霞ヶ関の高級官僚諸君はこうしたことを考えるためにそれぞれの専門分野で日夜研究に余念がないのではないのか。だからこそこの国の一流と云われる学校で教育を受け、志高く霞ヶ関に入ったのではなかったのか。一体何をしているのか。
 (まさか私がうすうす気がついているように、そんなつもりで霞ヶ関にやってきたわけではないというのではないだろうなぁ。)

睡眠

 歳をとるとみんな睡眠がうまくいかないといったりする。ただ単に運動が足りてない。しっかり運動をすればしっかり眠れる。
 昨日は練習だったからそのあと2時間ばかり呑み会をして、良い気持ちだったからこりゃぐっすり眠れるだろう思った。すると帰宅後すぐに眠くなって、こりゃ良い案配だと22時半頃には寝てしまった。すると、なんと午前1時過ぎには目がさめてしまった。私には酒は睡眠を促進してくれる要素ではないらしい。運動だね。やっぱり。で、それをしないからいけない。

2012年08月19日のツイート