ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

くだらねぇんです

 日がなうちにいてゴロゴロしてばかりの私に云われたくないだろうけれど、爺もろくなことを考えていないというのがわかって来ちゃって、はなはだがっかりだ。
 アベシンゾーの論調にそのまま流されて反日中とか半日韓とかって言葉を平気で振り回す。それが日本の一流といわれる教育を受けて、一流といわれる企業を渡り歩いた人間が口にするんだから、ほとほと知識と知恵と教養というものは一致しないんだなと思い知るわけだ。
 あのフェリー事故を延々と報じ、地下鉄の追突事故を「ほうら、またやった」と夜の定時のニュースで現場からの中継まで含めて大げさに騒ぐ。すると爺どもはこれを揶揄するのは当然の権利ぐらいに「あの三流国」だといいやがる。それでいてこんな地震国が原発再稼働だというのを何も批判しない。こんなに盲目的な阿呆どもだったかと呆れかえるよ、全く。

ラジオ

 昔からラジオが好きだった。大学を卒業するまでは横浜に住んでいたのでラジオ関東を良く聞いていた、というより民放だったらあそこが一番良く聞こえた。今でもニッポン放送が都内でも聞き取りにくいのはどうしてなんだろうか。自分がコンクリートの箱にしか住んでいないからなのだろうか。
 かつては電話リクエストなんてのがあった。ラジオ局がいう電話番号に電話をかけてリクエストを受け付けて貰う。これがなかなか繋がらない。繋がっただけで嬉しかったりして、実にウブだった。葉書を書いてもなかなか読んで貰えないから、いろいろ趣向を凝らした。残っていた年賀葉書で出す、葉書を重ねた時に目立つように周囲を赤く塗って送る。そのうち業を煮やして自分でかってなサイズに紙を切って送る。当時は郵便物に大きさの規定がなかった。それだけでも隔世の感がある。
 しかし、今のような「ラジオネーム」とかいって全く不可思議な名前を名乗ったりはしなかった。本名かもしくは「匿名でお願いします」だった。今の人たちはいろいろ目立つような不思議な名前をよく考えるものだと感心する。といいながらこのブログも私は仮名で書いている。パソコン通信が始まった頃からこんな風習が始まっていた。それをなんでか知らないけれど、ハンドル・ネームと読んでいた。そこから来ている。
 インターネットが繋がってからこんな事になったのだろうか。挙げ句に自分を「・・チャン」とか「・・さん」とか敬称やら愛称やらをつけて呼ぶようになっちまった。むずがゆい。その風習の延長線かも知れないけれど、自分のつれあいのことを自分の「奥さん」とか「旦那さん」とか呼んだり書いたりする。恥ずかしくないのだろうか。イヤ、恥ずかしくないからやっているんだろう。言語や文化なんてこんなもんだ。鯨なんてもう食わなくても良いだろうに。

MLB

 ヤンキースの田中マー君は7回を投げきって8本もヒットを打たれ、3点を失ったというのに、チームが9点も取って勝ち投手になってこれで4勝0敗という良い案配。これはもうついているとしかいいようがない。
 イチローは8番右翼でスタメン。4打数2安打1打点。なんでもっと使わないんだとみんな思っているだろう。
 シアトルの岩隈君は6回三分の二を投げてヒット6本、4点を取られたけれど、表にチームが逆転していたので、初勝利。これまたラッキー。
 ボストンの上原は9回から投げ始めたChristopher Frank Capuanoが一死も取れず、2点取られたところで登板。エラーで1点失うも後続を断ってまたセーブ。上原がこんな選手になるとは誰も思わなかったんじゃないかなぁ。
 ところで藤川球児はどうしているんだろうか。

2014年05月03日のツイート