不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

パウエル発言

コリン・パウエルは、ベネズエラやハイチの件では恥ずかしい発言を繰り返しましたが、たまには良いことを言います。
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20040418#p2
しかし、この発言を伝えたアサヒ.comは、第一報では

 また、「誰も危険を冒さなければ、私たちは前進しない。より良い目的のため危険を冒した日本人がいたことを私はうれしく思う」と述べ、3人の自己責任を問う声に反論。「危険を冒した市民がいることを、承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ」と述べた。

と伝えておきながら、同じタイムスタンプのまま、この部分を削除しています。
削除前
http://www.google.co.jp/search?q=cache:rNjrKPTfN68J:www2.asahi.com/special/jieitai/houjin/TKY200404160129.html+%22%E3%83%91%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%AB%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E5%8B%99%E9%95%B7%E5%AE%98%E3%81%AF%EF%BC%91%EF%BC%95%E6%97%A5%22&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
削除後
http://www.asahi.com/international/update/0416/005.html
およびhttp://www2.asahi.com/special/jieitai/houjin/TKY200404160129.html
というわけで、やはり朝日は権力であるということでよろしいですか?

市民←→国家?

リファラトラックバックか)を読んでいたら、上記のパウエル発言の訳について

ここからも都合の良い部分をつまみ食いをして、人質三人の行為を褒め称えているように見せ掛けているが、とんでもない文章の詐術だ。前後の文脈を捉えるのならば”civilian”は「市民」ではなく「国民」と訳すのが適当だろう。そもそも「市民」という言葉は、古代の都市国家投票権を持ち政治に参画するとともに、兵士として共同体の防衛義務を果たす人間を指すのであって、「VS国家」の意味合いを含んだ日本のそれとは決定的に異なる。

と詰る文章を発見。
しかし問題の箇所は"civilian"ではなく(パウエルはこのインタビュー中一度もこの言葉を使用していない)"citizens"と書かれているのです。
"civilian"なら国民の中で軍人ではない者(文民、民間人)という意味合いもありますが、"citizens"は国民よりは市民でしょう。
あと、いつから「市民」が「国家」と対立する意味を含むようになったのでしょうか。特定の思想(アナーキズム)に理解を示しすぎだと思うけれどなぁ。
また、国民だろうと市民だろうと、民主国家の行動を監視するのはその構成員の義務です。
一応、パウエル発言のその部分を引用しておきます。

And so I'm pleased that these Japanese citizens were willing to put themselves at risk for a greater good, for a better purpose.

だから私は、これらの日本市民がより良い善のために、より良い目的のために自らをリスクに晒そうとした事を嬉しく思います。

お、ただいま確認したところ、他にも突っ込んだ人がいて訂正されてました。そうでなくっちゃね。
引用元のほうも差し変わってたけど、単語を変えただけで文章変わらず。言葉が激しいわりには自分に甘いようですね。

東海道線の中で

ごついリュックが網棚に放置されていたわけですよ。
わたしは火薬を使わない軍装品にはほとんど興味がないので、それがサープラスなのかイミテーションなのかはわかりません。
しかしそれに詰め込まれている品を妄想すると、酔っぱらいとしてはかなり気分が悪くなるものなのです。
車両を替え、それだけでなく運転手に「2号車進行方向右側の網棚に不審な放置物あり」と報告したりするわけです。*1
これが10年前ですと、まず間違いなくわたし自身が不審者として追い払われたでしょう。病院に行けば病名がついたかも知れない。
3年前でも、「はいはい」で終わったところだと思います。
1年前なら一応話は聞いてくれたかな。
そして今や、感謝までされちゃうようになっちゃいましたよ。
「寒い時代だとはおもわんか?」byワッケイン指令

*1:わたしがこういう言い方をするのは、わたしが「鉄」方面に詳しいからではなく、異常に忘れ物が多い人間なので慣れているからです