濱田武士『日本漁業の真実』

晴。
とてもおもしろい夢を見る。起きて何だか切なくなってしまった。
音楽を聴く。■バッハ:ブランデンブルク協奏曲第三番、第四番、第六番(カール・リヒター参照)。リヒターは素晴らしい! 完全に説得されてしまった。単に真面目っていうだけではないね。折り目正しさというか、そういうものがある。でも、音楽の歓びにも欠けていない。自分には、リヒターはとても新鮮だ。

濱田武士『日本漁業の真実』読了。農業林業と同じく、日本の漁業も衰退しているという。本書を読んでみると、その危機度は、農業とはとても比較にならないほど大きい。実際、本書には日本漁業の先行きとして、一部の養殖業について以外は、明るい話が一切ない。しかし、市民は漁業の危機など、殆ど何も知らないのではないか。かく云う自分がそうなのである。本書を読んで問題の根底だと思ったのは、漁業の危機は、漁村・漁師たちなどの供給側にあると云うよりは、むしろ消費者側にあるということだ。簡単に云うと、つまりは日本人が魚を食べなくなってきたのである。これはもう、ほとんどどうしようもないことではないか。個人的なことを云うと、ウチはかなり魚を食べる方だと思うが、自分の同世代である今の親たちや、またその子供たちは、どうも肉のほうが好きなことが多いようである。魚を食べようみたいなキャンペーンが、どれほど効果的なのであろうか。
 問題は他に山積しているのであるが、その量が多すぎて、とてもここに書くわけにはいかない。もちろん漁業者も様々な試みは云われるまでもなくやっているのであって、それよりも、著者が力説するとおり、(ここだけではないが)ジャーナリズムがあまりにもいい加減なことを言っているのが酷いと思う。自分のように、少しはこうしたことが気になる人間にすら、必要な情報がほぼ入ってきていないというのは、こちらの勉強不足を差し引いても問題な気がする。本書のように、基本的な事実を知らせる媒体が、もっと現れねばならないだろう。
 漁業は排他的だと云われるが、それは仕方のない面がある。まず、漁業というものは自然が相手で、簡単にコントロールできないし、資源の量も限られていて、どうしても漁業権というものが必要になる。また、農業などに比べ、必要な初期投資が非常に大きく、また、一人前の漁師になるためには多くの経験を積まねばならない。農業のように「品種改良」をすることはなかなかできないし、経営努力はやり尽くされて、諸経費の圧縮くらいしかできない。田舎に引っ込んで農業、は可能だが、そのかわりに漁業というのはまず無理である。近隣各国との競争(漁場争い)は激しいし、世界的に資源保護の圧力は高まっている。遠洋漁業などは、その規模は一時期の一割くらいになってしまったらしい。そして、日本近海の漁場は、工業・リゾート施設の建設などで痩せてきている。漁村の少子高齢化は言うまでもない。むずかしいものだ。自分などには、何の解決策も思い浮かばない。

日本漁業の真実 (ちくま新書)

日本漁業の真実 (ちくま新書)

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