多元宇宙論

「生きて死ぬ私」という茂木健一郎さんの本を読んでいて、
「この世界は、死んでいった可能性で満ちあふれている」という彼の友人が語った言葉を目にした。
この文を読んで、ふと15年ほど前に読んだ大江健三郎氏の「個人的な体験」という本で知った、
多元宇宙論という考え方と同じだな、と思った。
 
この多元宇宙論という考え方は、簡単に言えばこうである。
 
人は、毎日無数の選択を行っているが、その一つひとつの選択で人生が変わっていく。
選択しなかった選択肢を選んだ場合の人生は、たったひとつの選択であっても
今の人生とまったく違うものになっていたかもしれない。
毎日無数の選択を行っているのだから、その世界の数は星の数ほどだろう。
また、無数の人々が無数の選択を行った集大成がまさにこの世界なのであり、膨大な可能性が
日々無数に枝分かれしていくから、その可能性は考えられないほどの数(実質は∞)となる。
 
よって、自分の人生だけをとっても、選択次第でまったく異なった人生になることが分かる。
日々、人間は皆、違った人生を歩む可能性を山ほど捨てて生きているのだ。
そう考えれば、逆に自分の意志や選択次第で今後の人生を大きく変えることができるような気がする。
少なくとも先進国に中流階級として生まれた私は、そう思うのである。
 
あの時、あの場所で、違う選択肢を選んでいたら、確実に今の自分はここにいない、
という事例を誰しもが容易に挙げることができるだろう。
でも、あの時、あの場所にいた自分は、将来の自分がこのような場所でこのようなことを
考えているなど、想像できたであろうか。
 
将来のことは明確に想像できないから(仮にできたとしても決して正確ではないから)、
せめて、理想に一歩でも近づくよう、毎日の判断一つひとつを大切にしたいものである。
全身全霊を注いで、常にその時点でベストの選択をする努力をしよう。
自分の判断の集大成が、他の何ものでもない、自分のアイデンティティ、自分の人生、
ほかの誰でもない自分自身を形作るのは間違いないのだから。