K君のこと

ogwata2006-02-11




ぼくが出版の世界にはじめて入ったのは25年前、ある小さなマンガ情報誌の無給スタッフとしてだった。この頃の仲間は、いまも忘年会と花見を名目にあつまっている。とはいえ、来なくなった連中の方がもっと多い。K君もそんな中の一人だ。


あれからちょうど25年。今度の花見はいつも顔を出さないやつらにも声をかけようということになり、今日はその打ち合わせだった。




幹事は口が悪いけど人はいいS君だ。彼は誰にたのまれたわけでもないのに、12月と4月になると電話で集まる時間と場所を知らせてくれる。彼がいなかったら、きっとぼくらは雲散霧消していただろう。


みんなのメールアドレスは把握してないの? ぼくは聞いた。今まで集まるときの連絡は、なぜかいつも電話だった。メールなら電話より簡単で便利だよ。メールなら同報できるし、こっちが都合いいときに出して、相手が都合いいときに読むことができる。


S君の返事はなぜか渋い。まあ、そうだけどさ。言を左右にして、話はすすまない。ぼくはすこし苛立った。だってさ、今やインターネット人口は、携帯電話もふくめれば7000万人を越えているんだぜ。そうだ、メーリングリストをつくろう。そうすれば、みんなの反応もわかる。会話もはずむし、今までこなかったやつらも、行こうかという気になるじゃないか。管理はぼくがやるよ。分かっているだけでいいから、アドレスを教えてよ。


まあそうだな、じゃあやってみようか。そうS君が言って、アドレスが分かっている人間をかぞえはじめた。K君の話が出たのはその時だ。


そうだ、K。あいつのアドレスは分かるの? ぼくがそう聞くと、S君はすこし黙ってから答えた。あそこはパソコン持ってないんだよ。いや、しかし携帯くらいあるだろう。ぼくはそう言った。S君はそれに短く答える。携帯も持ってないんだ。お金がないからね。上の子が今年受験らしいんだ。


黙りこむぼくに、追い打ちをかけるようにS君は言った。そういうやつもいるんだよ。メールが便利なのは分かってるけどさ、メールだけじゃだめなんだ。電話がいちばん確実でね。



雑誌がつぶれることが、ほぼ決まった夜、K君は仲間のSさんにストレートに愛を告白した。かわいいけれど気が強いSさんが、K君を素直に受け容れるとは誰も思わなかったが、すったもんだを経て、ふたりは高田馬場のアパートで同棲をはじめた。Sさんがはじめての女性だったらしい。真面目で木訥を絵にかいたようなK君ならではと、当時ぼくらは笑ってうなずきあった。それから数年して彼等は結婚した。


最初の子供は、ずいぶん大きな男の赤ん坊だった。どう見てもそれは体格のいいK君の遺伝と思えた。それからは会うごとに赤ん坊が増えていき、結局Sさんは3人の子供を産んだ。あと2人でバスケット・チームだな。ぼくはそう言った。笑ってくれるかと思ったが、K君は脇をむいて、なにも答えなかった。


編集部が解散した後に就職した本屋をやめ、彼が生協の配達員になったのは、何人目の赤ん坊が生まれたときだったろう。彼が書店員という職業を大好きだったことは知っていたから、やめたことを彼から聞いたとき、ぼくはすこし強い口調で、どうしてと聞いた。給料がやすかったんだよ。K君はこまったように答えた。あとで人から、すこしでも顧客を増やすために、K君は休日もトラックで管轄を回っているらしいと聞いた。


K君が職場のトラックに段ボール箱を載せて、ぼくのアパートを訪ねてきたのも、その頃だったと思う。10ほどの段ボール箱には、彼がそれまで買い集めたマンガがつまっていた。あげるよ、家がせまくなっちゃってさ。奥さんが整理しろって言うんだ。


彼のコレクションの中で圧倒的だったのは、講談社版の手塚治虫漫画全集だった。それだけで段ボール箱の過半を占めており、おそらく200巻は優に越えていたろうと思う。ちなみに講談社版全集は全400巻のはずだ。そういえば、K君は熱烈な手塚ファンだった。しかしぼくにとっては、手塚治虫はオールドファッションな過去の作家だった。ぼくは、この全集を通して手塚治虫を再認識することになる。手塚は駄作も名作もひっくるめ、とにかく圧倒的な作品数で戦後漫画の屋台骨を背負ってきた巨人だったのだ。


それにしてもと、ぼくは思う。彼はどんな気持ちで、自分が集めた本をぼくに手渡したのだろう?


それから数年後、手塚治虫は亡くなる。全集を読んでいたぼくには、手塚が死んだことの意味は正確に分かった。彼の死により、否応なく別の時代が始まることになる。そこで必要なのは手塚治虫像の正確な計測ではないか。そこで昔のマンガ情報誌時代に知り合った評論家と語り合い、彼に手塚治虫論を書くことを強くすすめた。それが結実したのが『手塚治虫はどこにいる (ちくま文庫)』だ。著者にとってもそうだったらしいが、ぼくはこの単行本を編集したことで、とても多くのものを得た。


さてK君、きみは今幸せなのだろうか? ぼくとしては、パソコンのあるなしよりも、むしろ最後に会ったときの、あなたの気弱な様子が気になるのだけれど。