人はいかに学ぶか 日常的認知の世界
- 作者: 稲垣佳世子,波多野誼余夫
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1989/01/01
- メディア: 新書
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読んでみましたが、正直あんまり頭に残りませんでした。
しかし、それでも共感できるところはたくさん自分なりにたくさんありました。
■学校のような伝統的な学ぶ場所では、学び手は優秀でないという前提があるが、それは間違いである。
■授業では、受け身だった子が放課後には自発的に積極的に自らの興味・関心の向くままに様々なことを学習している。
■そればかりか人は、生活上の必要をみたすために環境に働きかけ、効果的な手続きを学ぼうとする。
■さらに本来的好奇心が強く、そうした手続きの意味を積極的に求める存在でもある。
学ぶということは、やはり自分の興味関心のあること、生活上必要なことの方が身につきやすいようです。
以前紹介した「エヴリディ・ジーニアス」の中にあった、「インプット → 統合 → アウトプット」の中の「統合」という過程がやはり必要であるということでしょうか。
学ぶということは、自分と社会をつなぐ線を新たに見つけること。
ということは自分に向かっている、または自分に向けたいものの方が学びやすいということなのかなと思います。
- 作者: 稲垣佳世子,波多野誼余夫
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