内憂外患というか、どうもやることなすこと低調で、そういう時は動くにかぎると、本当にひさしぶりにゴンチチを聞きながら玉川上水さんぽ。こういう確実な幸せを手放してはならぬと思う。
午後は、かねてからの懸案であった、新所沢の古本カフェ「午後の時間割」を訪ねる。週に三日ほどしか営業していないので、目がけて行くことになる。新しめの本、海外文学充実の店である。なんとか「古通」に書けそうだ。ちくま文庫がたくさんあるのに、ぼくの本はなく、ご主人と話をしたが、知られていなかった。あれだけ本があって、自分の本がない、というのは残念というより反省材料だ。まだまだ、ということだ。書くことだけで、人に知られるというのは、大変なことだと思う。しかし、知られれば、知られるほどいいのか、というとそれはまた別の話。それはそれで、それ相応の負荷を背負うことにもなる。いまぐらいでちょうどいい、とも言えるのだ。
週に2度は湯豆腐を食っている。小鍋で自分用に作るのだ。ただ、ポン酢にパンチが足りなく、やはり、ポン酢は高くても「旭ポン酢」以外は使ってはいけないと思う。しかし、高いんだなあ。プライベートブランドの安いポン酢の3倍以上するか。
アド街ック天国」が三軒茶屋太子堂、というずいぶんピンポイントのエリアを取り上げ、ほとんど飲食の紹介であったが、お好み焼き「津久井」、とんかつ「川善」に激しく反応する。しかし、毎回、どこを取り上げても、薬丸が店など習熟しているのに驚く。そのためだけに、生きているのではないかと思わせる。かく、ありたいものだ。
澤宮優『イップス角川書店を、メモ取りながら熟読。「大事な場面で、手が動かない」泥沼の「魔病」にはまりこんで苦悩するスポーツ選手の内実を取り上げる好著で、スポーツ界のことながら、わがことのように読んだ。症状の大小はあれ、ほとんどの人間が罹患する病であり、自分もまたそうだと思うのだ。
ウディ・アレン「アニーホール」を久々に観る。ウディ・アレンのカラーは、この映画で確立された。セリフに頼っている映画のように見えて、音を消して、絵だけでも、じゅうぶん楽しめる映画ではないか。人と集まって、お酒を飲んで喋りながら、音を小さくして流していてもいい。