2005-03-31 のトピックス
人権擁護法案について(デスノート風)FLASH版 展示終了
- ……がーん。ショックでかし。
無印の"間取り計画"で部屋のレイアウトを!
- 自分で好きな間取りを決めて、無印良品の家具を配置できるフラッシュ。友人Mに教わってやってみました。
- センスがないのか全然住みやすそうな部屋になりません。ドアと収納の配置が結構重要なポイントみたいですが……うーん。
最近『性的人間』がクオリティ高いです
- 大江健三郎のじゃなくてヤングジャンプで連載してるやつですが、ここ数週かなり面白いです。
- google:性的人間]で普通に検索しても大江健三郎のしか出てこないので[Google:性的人間 -大江健三郎としましょう。
- サブタイトルに「どうていまんが」とあるとおり、高校生の童貞3人組がなんとかエロいことしようと奮闘するギャグマンガなんですが、「童貞もの」大御所の小田原ドラゴンほど痛々しくないので心が痛まずに読めます。(小田原ドラゴンをAmazonで検索)
- それにしても、童貞判別法として「コンドームを新しいガムだと騙して食わせる」という今週のネタはすごい。
- 作者のページののぞよし漫画劇場で作者の過去の作品が読めます。
皆さんどうぞ単行本化できるよう応援してくださいね
とありまして、応援したいのはやまやまなんですが具体的にどうしたらいいんだか。
私にとってはツールも含めてフラッシュだった
昨日の日記でFlashが伝達メディアとして「無色」であるということなんじゃないかと思います
「無色」なメディアは、芸術表現も出来れば言論も可能であるという万能性を持ちます
と書いたところ、トラックバック先のうぼしさんからこんなコメントを頂きました。
正直な所Flashが既存の表現と一線を画して「芸術表現も出来れば言論も可能であるという万能性を持」っている事の根拠がよく分からないのですが。よろしければその辺のご説明を頂ければ・・・と思います。
いま考えると「無色」なメディアという表現は多少大げさで、実はそんなにたいした話ではなかったりします。
指摘を受けて自己分析して、私はフラッシュというものをツールを含めて認識しているということに気づきました。
純粋な閲覧者にとってはフラッシュというと「作品そのもの」を指すと思いますが、作成ツールに直接触れていると、そのツールも含めて「フラッシュ」だという認識になってきます。
これは他のメディアでも同じだと思います。私にとって「映画」はスクリーンに映っているもの(あるいは日曜洋画劇場とかでテレビに映っているもの)を指しますが、映画作成に携わる人はカメラやフィルムや役者やスタッフetc...も含めて「映画」だと認識しているんじゃないか、と。
メディアの中にツールという認識が入ってくると、それは例えば「紙」とか「ペン」とか「インク」とかと同じような感覚になってくるんですね。「これさえあれば何でも表現できるぞ」……という。
だから私はフラッシュは(自分の腕さえ伴えば)芸術表現だろうが言論だろうが、何でも作れる万能ツールだと認識しています。
同じように、映画を作る人のなかには「映画というメディアで芸術表現も言論も可能だ」という主張を持つ人がいてもおかしくないでしょう(ちなみに「演劇」で同じようなことを主張している人は私の周りにいます)。
……といったような理由から出てきたのが『「無色」なメディア』という表現なので、根拠がよく分からないのですが
というご質問には「私の思い入れであって、特に根拠はないです」というお答えになってしまいます(その思い入れについて語りだすとえらく長くなります)。どうもすみません。